懐かしい小網代の森の記憶

〜四半世紀(25年)前の姿を写真でご紹介!〜

@小網代の森入口交差点

この頃は、まだT字路で小網代の森についての案内などは一切なかったのです。その後、スーパーとの複合公共施設の建設に伴う道路改良工事で十字路の大きな交差点となりました。脇には小網代の森の来場者用駐車場も造られて見違えるようになりました。その際「小網代の森入口」という交差点名が付けられたのです。

トップに戻る

A小網代の森への分岐点

現在とほぼ同じです。ただ、この分岐は六差路になっていて、どれが小網代の森への道か非常に分かり難かったのです。そのため、すぐに案内看板が付けられました。最初は地図で示していたのですが、それでも分かりにくかったため、写真付きの看板となりました。この結果、迷う人はいなくなりました。写真に写っている自販機は撤去されています。

トップに戻る

Bレストラン小網代の森

分岐から下っていくと右手にレストランが現れます。小網代の森という名称が独り歩きする前は、「芝生で魚のバーベキュー」のキャッチフレーズで知られた「山家荘」という食事処だったのですが、小網代の森の知名度があがると「レストラン小網代の森」に改名、その後「ひげ爺の栖」というレストランに変わりました。しかし現在休業中のようです。

トップに戻る

Cレストラン小網代の森の下

レストラン小網代の森を右手に見ながら坂を下っていくと、突き当りに放置自動車が2台ありました。その昔は、そのまま真っすぐにも道があったのです。今は藪になっています。もちろん、車は撤去されています。

D小網代の森入口(引橋入口)

階段ができる前の小網代の森の入口です、写真のフェンスは今もあるのですが、ここには三浦市水道施設である引橋隧道配水池があります。この場所、今は案内サインが並び、ベンチなどもありちょっとした休憩広場になっています。

トップに戻る

E小網代の森に入っていく山道

サクサクと落ち葉を踏みしめながら下る山道です。自動車の音もここまでは聞こえず、聞こえるのは鳥のさえずりと木々の間を吹き抜ける風の音だけです。今は歩くことはできず、廃道化しています。

トップに戻る

F谷戸の最奥部であり水源

ここから谷戸の間の谷を小網代の海まで進んでいきます。昔はこの辺りから水田が広がっていたので湿地帯です。小網代湾に注ぐ小川の水源もここになります。この頃は小川や湿地上に足場板を渡して歩きやすくしていました。

トップに戻る

G森の小径

狭い谷戸の間を進んでいきます。ちょろちょろと流れる小川は現在とほぼ変わりません。この頃は歩ける所が小径になっていたのですが、あちこちぬかっていたので雨の後などは長靴必須の自然のままの状態でした。今は公園化され桟道や砕石敷となっているので安心して歩けます。

トップに戻る

Hアオキ広場

狭い谷戸の中でも少し広く開放感のある場所でした。アオキが群生していたので、個人的にアオキ広場と呼んでいました。

トップに戻る

I湿地帯

基本的に水田の跡なので全て湿地帯だったのです。歩ける場所は当時の畦道の部分になるのですが、それを無視して道を造ったので、歩きにくい所にはこのような足場板をあちこち敷いていました。今はこのあたりからずっと桟道が設置されています。

トップに戻る

J大湿原

現在、やなぎテラスと呼んでいるあたりです。ここから海に向かって美しい水田風景が広がっていました。水田が放棄されてからは、植生は変化しています。整備される前は、葦や笹薮が広がる湿原でした。ガマなどもかなり見かけましたし、春にはセリもたくさん生えていました。今繁茂している「じゃやなぎ」は畦道の隅っこに細々とある程度だったのです。現在の立派な桟道が設置される前はこのように足場板で仮設の道が造られていたのです。

トップに戻る

Kトトロのトンネル

ここも大湿原の中ですが、この頃の通り道は小川に沿って造られていました。つまり畦道の辺りになるので、比較的乾燥していたせいで、深い笹薮だったのです。そして、丈の高い笹がトンネル状に道に覆いかぶさっていたので、これを称して「トトロのトンネル」と呼び、名所となっていました。因みに映画「となりのトトロ」の公開は、1988年(昭和63年)4月です。更に10年少し前になりますね。

トップに戻る

L小網代の森の中心

ザ:小網代の森の風景です。周囲の丘陵に変化はありませんが、この湿地は大きく変化しています。今や、この写真の中央に桟道が通っています。

トップに戻る

M中の石橋

現在は通行できませんが、これがかつての農道に架かる橋なんです。風情がありますね。その昔この橋の下で「モクズガニ」を採ったことがあります。この頃はまだ通行可能でした。というより、これが小網代の海に至る正規ルートでした。中央部には畦道があって、小川沿いに進めたのですが、湿地化と藪がひどくて通行困難になっていきました。

トップに戻る

N小網代の水田への農道

石橋から海に向かう道です。藪が茂って山の細道のように見えますが、実際は石橋の幅と同じ程度の道幅があって、今で言う軽トラが通れるような道だったのです。当時の農家さんはこの道を通って自分の水田に出かけていたのです。

トップに戻る

O崖沿いの道

この道、最後の部分はこのように崖沿いの道になっていました。 現在、ここは通行できず、少し離れたところに桟道を通しています。たぶん、崖崩れの恐れがあるので、通行不可にしているものと思われます。

P河口の石橋

いつ頃架けられたかは不明ですが、戦後の昭和30年代のことと思っています。自分にとっては小網代の海で遊ぶ時の拠点でした。というのは、この付近で唯一のコンクリートの場所なので、物を置いたり座ったりするのに貴重な場所でした。もちろんこの橋の上から魚釣りも楽しめました。その後、台風や大雨の影響で、残念ながら付け根部分が崩落し通行できなくなりました。次の2枚の写真は、石橋から上流部と下流部を写したものです。景色は現在とほぼ同じですね。

Q小網代湾奥の別荘

何時ごろからあるのか、誰のものなのか不明です。ただ、地図などで調べると戦後昭和40年代位に建てられたものではないででしょうか。玄関前にタヌキの置物があったのを覚えています。また建物の脇には大きな池がありました。今は撤去されてその存在すらわからなくなっています。

トップに戻る

Rプライベートビーチ

砂利の干潟で知られる小網代湾ですが、ここだけ小さな砂浜があるのです。まさにプライベートビーチ。この砂浜の上には大正の頃から民家かわからないのですが建物がありました。現在、跡地はアカテガニの広場になっています。この砂浜も昔からお住まいの方が使われていたという事です。

トップに戻る

S北尾根ルート

小網代の森に行くには3つのルートがあります。引橋入口からのルート、小網代部落からのルート、そして、この北尾根入口からのルートです。北尾根なんて言う名称はもともとなかったのですが、小網代の森に関わった人たちが付けた名称です。このルートは畑の脇を通り、林を抜けて、小網代湾の別荘跡地につながっていきます。ここにも途中、トトロのトンネルがあります。

トップに戻る

㉑北尾根ルートの入口

ここには特に標識がないので、分かりにくいです。周囲にも何もない畑道です。

トップに戻る

㉒ゴルフ場跡

これだけ見てもなんだかわからないのですが、ここにはかつてゴルフの打ち放し場があったのです。昭和30年代です。そして、小網代湾に至る正規ルートはこのゴルフ場を抜けていくルートだったのです。今は、藪に覆われて通行不可になっています。ブロック塀の場所には今や民家が建っています。

トップに戻る

㉓小網代部落に抜けるルート

この道はもともと小網代部落から小網代湾奥の水田に向かう道なのです。この道沿いにも水田があったのですが、同じように放棄されて荒れ地になっています。写真の辺りには現在公衆トイレが建てられています。

トップに戻る

㉔小網代の鎮守「白髭神社」

小網代村の鎮守で、港町にふさわしく祭神は海上安全の神「中筒男之命」。境内にはカンカン石と呼ばれる風待ち港にまつわる奉納物もあり、この地が古くから風待ち港、避難港として栄えていたことを物語っています。 また、三浦七福神の一つで不老長寿の神である「長安寿老人」も祀っています。新年には七福神詣出の参拝者も多く訪れます。

トップに戻る

㉕小網代湾

リアス式海岸のように陸地に深く入り込んだ入江という天然の良港だった小網代湾。江戸の昔から三崎湊の避難港、風待ち港として栄えていたのです。現在もその特性を生かして大規模なマリーナが造られ、湾には色とりどりのヨットやクルーザーが浮かびます。写真は小網代の森につながる湾奥部で、まるで湖のようです。

トップに戻る