銀行の広告

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政府は、日中戦争から大東亜戦争の期間、膨大な戦費を賄うため、増税の他に貯蓄報国と言う言葉で貯蓄を奨励した。メインは戦時債券であり、割当制となり半強制的に徴収されるようになっていった。
一方、貯蓄の王道は銀行であるが、広告を見るかぎりは、目だって戦争のための貯蓄推進というものは見られない。昭和17年終わりあたりから、ちらほらみられるようになってきた。

十五銀行の広告
明治10年第十五国立銀行として設立後、明治30年、民営に改組、昭和19年に帝国銀行に吸収合併されるまで存在した。本店は銀座にあり桜の銀行と呼ばれた。


内容
「貯蓄で一億総進軍  十五銀行」
掲載:昭和17年10月 

駿河銀行の広告
明治28年設立の根方銀行を前身とする老舗銀行。明治45年駿河銀行に改称した頃には、駿東地域から伊豆、神奈川にまで店舗を拡大していた。駿河銀行は独立自尊を掲げ、昭和11年から始まった一県一行主義(一つの府県には、一つの地方銀行という大蔵省の政策)に反し、静岡では駿河銀行、駿州銀行(現、清水銀行)、静岡銀行の3行が存続した。平成2年から表示は「スルガ銀行」。
神奈川新聞に各銀行は広告を出しているが、貯蓄報国を掲げたのは駿河銀行は最初であり、以降たびたび掲載するようになる。


内容
「貯蓄報国
駿河銀行 静岡県沼津市」
掲載:昭和17年11月 
三和信託の広告
三和信託とは、昭和16年から昭和20年の間に存在した銀行。関西信託株式会社、共同信託株式会社、鴻池信託株式会社の3社が合併して大阪で設立された。昭和20年に三和銀行に合併し消滅した。ハワイ海戦に始まった大東亜戦争の開戦時の感激を貯蓄に充てようという趣旨の広告。利率は今と比べて圧倒的に高い。

内容
「あの感激にこの貯蓄  金銭信託 三分八厘(五年以上) 三分六厘(二年以上)
三和信託 横浜出張所 中区尾上町五丁目 電話長者町(3)二一八二」
掲載:昭和17年12月 
三井信託の広告
三井信託とは、大正13年に設立された我が国初の信託会社。現在は、三井住友信託銀行となって存続している。

内容
「国民貯蓄には免税特典ある 金銭信託 三百円より三年以上
(七千円迄分割所得税免除)手続総ては当社で致します(案内書贈呈)
三井信託 横浜出張所 中区馬車道通 電話長者(3)二〇七三」
掲載:昭和17年12月 
三菱信託の広告
三菱信託とは、昭和2年設立された三菱財閥の信託会社。現在の三菱UFJ信託銀行。これは、戦争協力の部分は特にないが、この12月は信託会社の広告がなぜか多い。

内容
「金銭信託 五百円以上 二年以上三分六厘 五年以上三分八厘(案内書贈呈)
三菱信託横浜出張所 馬車道停留所前 電三六一八」
掲載:昭和17年12月 
横浜興信銀行の広告
横浜興信銀行とは、大正9年に設立された現在の横浜銀行のルーツである。昭和15年度に120億円に設定された国民貯蓄奨励運動は、昭和17年度に230億円、18年度には270億円と増加していった。

内容
「国民貯蓄推進期間中 横浜興信銀行 230億貯蓄完遂へ」
掲載:昭和17年12月 
三菱銀行の広告
現在の三菱UFJ銀行のルーツ三菱銀行は、大正8年に設立された。広告にはシンプルに貯蓄報国のみである。

内容
「貯蓄報国 三菱銀行横浜支店 横浜市中区真砂町三丁目三十八番地 
市電尾上町下車・羽衣橋際」
掲載:昭和17年12月 
安田銀行の広告
安田銀行は、現みずほ銀行のルーツであり、戦後は富士銀行として都市銀行の一角を占めていた。新聞広告は度々掲載しているが、いたってシンプルなもので、戦時広告的な内容は見られない。

内容
「安田銀行 横浜支店・神奈川支店」
掲載:昭和17年12月 


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