慰問に因んだ広告

広 告

p>ここで言う「慰問」とは出征軍人に向けて、お金をはじめ、嗜好品や日用品などを送ったり、余興などの娯楽を供したりして、命をかけて御国のために戦っている軍人を慰めることである。 戦時には、戦地に向けて大量の慰問袋が贈られた。 当時、慰問品に最適というのは常套の売り文句であったろう。

味の素の広告
今や世界企業となった味の素の広告である。鈴木商店は大正6年の設立であるが、味の素自体は明治42年に販売が開始されている。 当時は新聞広告の常連であったが、これは慰問品に最適という時勢に合わせた内容である。
内容
「慰問袋に味の素
護れ・皇軍将士の食欲! 働くには先ず食物、食欲は実に力です!不自由勝ちな戦場に於ける吾等の勇士にぜひ、味の素を送りましょう
宮内省御用達 味の素本舗 株式会社鈴木商店」
掲載:昭和12年10月 

煉羊羹の広告
馬車道にあった住田楼は明治3年創業の老舗和菓子屋で、小倉羊羹が神奈川県指定銘菓であった。しかし、残念ながら数年前に閉店されたようである。 羊羹は、今では食べる機会も少なくなったが、かっては、酒保でも扱っていたごく普通のおやつであり、日持ちもすることから慰問品にもよく使われた。
内容
「出征将兵の御慰問用
名物 煉り羊羹
中区真砂町 住田楼 老舗 電話(3)四七五五」
掲載:昭和12年12月 

日清ミルクキャラメルの広告
日清製菓とは、創業大正12年で、有名なバターココナッツを製造していた会社(シスコのココナッツサブレとは異なる)である。
日本男子にとって、甘いものは女、子供の食べるものという印象があるが、そんなことはなく、激務に耐える兵隊さんの好物は、チョコレート、お汁粉、饅頭など甘いものであったようで、キャラメルなどは慰問品にも最適だったであろう。
内容
「甘い慰問品を 戦線勇士へ  滋養第一 風味満点 日清ミルクキャラメル   
横浜 日清製菓株式会社 東京」
掲載:昭和16年1月 

イマズ蝿取粉の広告
中国南部に出世した兵士たちは、暑さと劣悪な衛生環境により、病気に罹り戦病死された方も多かった。このような品物は、慰問品として好まれたのではないだろうか。
内容
「イマヅ蝿取粉 南京虫取粉
慰問袋に 支那全土は蝿、南京虫、虱、マラリア蚊、毒虫サソリ等害虫の巣窟です。イマヅ蠅取粉はこんな害虫ならわけなく退治できるし、使用携帯に便利で兵隊さんになくてはならぬ品ですから慰問袋に是非一缶を〜
大阪市西淀川区大仁本町 株式会社今津化学研究所」
掲載:昭和16年7月 

乾海苔問屋 坂安本店の広告
海苔を慰問用にとは、戦地で御飯に巻いて食べたのであろうか。
内容
「御家庭用 御進物用 皇軍御慰問用に 浅草のり
 御用命は 乾海苔問屋 坂安本店 神奈川区滝の橋際 電(4)三〇七七番  焼海苔 味付海苔製造元」
掲載:昭和16年10月 

慰問用書籍セットの広告
面白い企画である。当時の人気本のラインナップだと思われる。音楽や芸能関係の書籍は今と同様である。景品にある家庭写真器とはどんなものであろうか。
内容
「面白くて愉快な組合せ 兵隊さんの慰問品 絶好適品
▲浪花節名曲集 一冊 ▲青年詩吟名句集 一冊 ▲最新流行歌全集 一冊 ▲新しい手紙文 一冊 ▲映画スター名鑑 四八集 ▲最新軍歌集 一冊
右の六品は兵隊さん慰問用として特別大奉仕六品一組をタッタ九十銭で提供す。希望者は送料共【三銭切手三十枚封入】申込み 〇景品=家庭写真器贈呈券進呈
 〜  積文堂書店」
掲載:昭和17年2月 

イマヅ蝿取粉の広告
いわゆる害虫が全滅とあるので、殺虫剤なのであろう。害虫や家畜に直接振りかけるもので、もちろん、虱退治には、人の頭に直接振りかけて使った。油虫とは今のゴキブリのことであるが、いつから変わったのであろうか。
内容
「慰問袋にイマヅ蝿取粉
蝿は勿論、蚊、蚤、虱、油虫、蟻、犬猫牛馬や家禽のノミ、虱、ダニ アブ、羽虫などわけなく全滅! (全国組合・薬店・荒物店に有〜
今津化学研究所」
掲載:昭和18年4月 

イマヅ蝿取粉の広告
同月の広告であるが、前回が言葉で訴え、今回は画像で訴えと、手法を変えることで宣伝効果を上げている。いずれも、簡潔で分かりやすく新聞広告のお手本。
内容
「慰問袋に……
家庭は勿論 犬猫牛馬の害虫駆除に
(全国組合・薬店・に有」
掲載:昭和18年4月 

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