仁丹の広告

広 告

仁丹とは、森下仁丹の創業者、森下博によって開発され、明治38年に発売された総合保健薬である。最初、「赤大粒仁丹」として販売されていたが、昭和初期に現在の「銀粒仁丹」が開発された。 新聞広告を活用して、売り上げを大きく伸ばしていった。効能を前面に出した広告であったが、支那事変以降は、次第に軍事色が強くなり、時世に合わせた広告へと変化して行き、戦地への慰問品に好適であることをアピールしていた。 昭和16年9月には、献納広告を出すほど国策に協力するようになった。特に、興亜奉公日とそれに続く大詔奉戴日に合わせて出す広告は仁丹広告の特長であり、まさに国策広告である。

イラストの忠魂塔は日露戦役後の明治42年、東郷、乃木両大将の発案で旅順の白玉山に建立された表忠塔をモデルにしている。前年に完成した納骨祠(日露戦争の戦病没者22719名に遺骨が納められている)に隣接して建てられたもので、日露戦争の代表的な慰霊の地である。 この塔は、日本とロシアから受けた屈辱を忘れないためとして現在も残されている。

内容
「懐中良薬仁丹    優秀なる口中香剤 消化と毒けし
●今日の招魂祭に当り ▼人込の中を歩くとき▼競技運動を観る時▼疲労口渇きの時▼酒煙草の前後に 佳味芳香の仁丹を何人も欠かさず口中あれ
●本日の招魂祭に当り 我が同胞は満腔の誠意を以て 護国の忠魂を追敬し忠君愛国の赤心 牢として盤石の如し
●忠魂塔の事 ▲茲に掲げたる大高塔は日露戦争に於て君国の為に陣頭の玉と砕けし同胞の忠魂義膽を合祀せる彼の旅順白玉三頭の忠魂塔即ち我国武人の典型たる乃木大将閣下が先年壮厳なる挙式の下に除幕せられたる大忠魂塔と同一形に描出したものである ▲而して此塔の忠君愛国の四字は旅順の一戸砲塁と共に盛名世に籍甚せる現第四師団長一戸中将閣下が特に本舗主人の為に揮毫せられたる大文字を縮掲したるものである
仁丹一粒真に爽快何と云っても仁丹に限る」
掲載:明治45年5月 

モデルとなった白玉山の表忠塔と納骨祠の絵葉書。

「(旅順)白玉山表忠塔及び納骨堂(京都大学附属図書館所蔵)
URL:https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00030843#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-12480%2C-219%2C27471%2C4372

陸軍大演習で大砲を扱う場面を描いた生々しいイラストであり、非常時の世相が伝わってくる。
仁丹は発売当初の赤大粒から、昭和2年に赤小粒が開発され、昭和4年現在と同じ銀粒が生れた。
内容
「大演習 元気な兵隊さんも仁丹で志気鼓舞 まして我々は一日も仁丹を手離してはならぬ
赤の小粒仁丹 貴薬サフラン倍加特製」
掲載:昭和9年11月 

衛生状態の悪い戦地へ送る慰問品には、膏薬、傷薬、胃腸薬などの薬も重宝された。 仁丹は、胃腸薬としてだけでなく疲労倦怠、頭痛などにも効く万能薬であったようだ。
内容
「夏の殺菌と消化に 慰問にこれから益々欠かせぬ
病原の殖える夏! 殊に消化不良に基づく障害激増 
仁丹を絶やさず朝夕食後数粒宛御活用になれば・口から入る病原を防除し・胃腸を強め、消化は旺盛 暑さに負けぬ溌剌たる体力を創る
頭痛に 暑さに増える頭痛めまい、体の疲労に 疲れ、倦怠など爽やかに一掃!
仁丹」
掲載:昭和16年6月 

同月に違うデザインの広告を打ってきた。食べ物が傷みやすい夏がかきいれ時なのであろう。 しかし、平成の現在、仁丹には余りお目にかかれなくなってしまった。
内容
「銃後の増健剤 慰問必需要薬
食欲を進め よく消化し よく吸収し 夏負けをふせぐ 仁丹」
掲載:昭和16年6月 

仁丹が体力に効くとは拡大解釈か。後段に時代を象徴する言葉が並ぶ。
内容
「〜 胃腸虚弱者は勿論 健康体にも欠かせぬ仁丹 常に心身に生気張り明るい活動力の源泉となる… 
今!戦線銃後の必携要薬 執務に 鍛錬に 慰問に」
掲載:昭和16年7月 

昭和16年7月7日、支那事変4周年を迎え、各地では多彩な記念行事が行われたが、仁丹でも将兵への感謝と合わせて、戦地の慰問品としての仁丹を訴えた広告を掲載した。
内容
「聖戦正に四周年 戦果赫々 中原を攘う 純忠勇武の皇軍将士に限りなき感謝の誠を捧げ 戦陣薬として仁丹の絶えざる御愛用の栄を賜わり伏して鳴謝し奉る………… 愈々酷暑の戦地へ 胃腸障害を防ぎ心身疲労回復の仁丹のご慰問を時々御送り下さい
口渇に 胃腸に 疲労に 仁丹」
掲載:昭和16年7月 

海の護りの象徴である戦艦のイラストを使うことによって、胃腸の護りを強調している。
内容
「〜 酷暑の此頃! 腐敗が早く食物がスグ悪くなる 凡ゆる病原菌の繁殖が著しい… 胃腸障害が一番多い時期でもある 安全な備えは仁丹の常用に優るものなし〜
戦地で特にお待ちかねです慰問の度に送りましょう〜
掲載:昭和16年7月 

時世に順応している広告であり。慰問のことは欠かさず告知している。
内容
「きょう 興亜奉公日  今月の指標 生活正義の確立 大時局超克の盤石の固めは隣保協力まづ正しい暮らし方の実践敢行 この日の出発を 八月一日午後八時ヨリ 全国一斉に隣保常会 〜 慰問に 兵隊さんに一ばん御喜び頂く仁丹!御忘れなきよう慰問の度に必ず… 〜
掲載:昭和16年8月 

仁丹とは、どうやら夏がかきいれどきらしい。
内容
「涼味(すずしさ)万斛(かぎりなし) 暑さの今…  何にも優る仁丹の効果!絶えず健康を護る 時局化のワ夏薬 〜 銃後にも戦線にも 涼味と増健の仁丹! 酷暑の必携薬 〜
掲載:昭和16年8月 

この頃の広告は、勤労報国の精神で満ち溢れている。働け働けである。
内容
「明るく働ける! 時局勿忙! 火の玉の様に真剣な活動が要請される 併し気分は常に飽く迄明るく朗らかに……
それには仁丹に優るものなし 時々数粒宛活用すれば 疲れ鈍った頭も軽く理解力や思考力も生き生き恢復し 体の疲れも倦怠も消して 仕事に対する新しい気力が湧く 活動力振起の必携薬 頭痛と疲労に 仁丹
掲載:昭和16年8月 

南洋を走る巡洋艦らしき艦影。南洋委任統治領のイメージを利用して夏をアピールしている。
内容
「暑さの疲れを爽やかに消す 仁丹数粒! 
疲れた体に英気を注ぎ常に清新の気分を保つ 更に仁丹は 食欲を進めて何でも美味く 消化を助けて 凡てが身につく 仁丹の御常用は健康の源泉!
戦地で一番お力になる陣中要薬!慰問袋や手紙の度に必ず同封―」
掲載:昭和16年8月 

昭和16年9月1日付け広告。関東大震災18年と、興亜奉公日2周年の記念ということで出された献納広告である。日中戦争の泥沼化で日本は既に耐乏生活に突入しており、生活要塞ということばで日常生活の闘いに打勝つことを求めている。
内容
「帝都大震満十八年に方る きょう興亜奉公日 第二周年 
生活戦陣営の強化へ 今ぞ千仭の巌頭に立つ広古の超時局 近代戦は正に之れ生活力のみの闘い! 一、衣食住の単純化こそ「生活戦態勢」の絶対単位 二、節米を本位の戦時食糧貯充には衆智の工夫を 三、家庭資材の戦時的活用への協力も等しく 上述の生命は「生活の集団化」「協同化」に依りて全し 即ち隣保組織の徹底効果に俟つのみ  固めよう一億一心の生活要塞を
献納広告 森下仁丹株式会社 社長〜」
掲載:昭和16年9月 

健康報国、体力維持に仁丹をという趣旨である。
内容
「夏場弱った胃腸を力づける 腹を整え 消化力と吸収力を増強して 今―食進む秋 体力蓄積に努めましょう〜 
慰問に一番喜ぶ 便りの度に御送り下さい」
掲載:昭和16年9月 

季節に合わせたコピーを繰り出してくるが、最後は国策に沿って締めている。
内容
「秋口の胃腸に新しい力を!〜 秋の恵みを存分に身につけ体力を充実させます 勿忙な時局下倍働ける 身の護りとして必携薬 〜 」
掲載:昭和16年9月 

国策に沿ったとは、元気に働いてもらうための体力維持、増進である。
内容
「時候変りの胃腸に 〜 漸次!体力充実へ導く効果著し 臨戦態勢下の秋の必携要薬 頭明るく胸爽やかにいつも生気颯爽と働く体力は常時連用の仁丹から〜」
掲載:昭和16年9月 

仁丹が体力の増進に効くとは今では考えられないが…
内容
「体力蓄積の秋 逞しい体力のみがこの動乱の時局を乗り切る基礎である! 〜 めきめき体力の充実へ導く!一番便利な時局下の必携薬 〜」
掲載:昭和16年9月 

労苦を耐え忍ばなければ勝利はない、これが昭和20年まで続くのである。
内容
「生活力は強い胃腸から 戦いを決するものは結局国民の生活力! 必勝の信念固く粗食に堪え激務に疲れず ぐんぐん押し切ってゆくには常に体力の充実がもとであり強い胃腸が必要である 朝夕毎食後数粒仁丹を続けて頂けば 〜  見違える程栄養が身につき腹具合よく健康が高められ 底力のある戦時体力向上へ導かれます 〜」
掲載:昭和16年9月 

救急袋の中身は現代と同じようである。薬に照明、食料などであるが、面白いのは鰹節。また、仁丹が外傷にも効くとは驚きである。
内容
「空襲にも備えて 救急袋を戸毎に必ず!!
強ち空襲には限らず非常の備えに救急袋を此際スグ
其の内容は かさ低くな薬品や包帯など、ローソク、マッチ、タオルは勿論、焼米、乾飯、鰹節の如き食糧等々 重宝な仁丹はゼヒ!
頭痛 腹痛・口渇を防ぐ 疲労・息切れによく 生気をもり返す救急要薬 外傷 火傷、擦り傷等等にはよく砕いて御試し下さい、〜」
掲載:昭和16年10月 

仁丹の効能は、消化促進であるが、そこから派生効果が種々生れることになる。護身薬という言葉まで出てきている。時節柄、銃を構える兵隊さんも登場し、強い体創りを強調している。
内容
「消化から強健体を創る
仁丹の愛用で消化を促進し 食中り・胸やけ 腹痛・下痢等を快よく一掃して 精気漲る健康体を得る
食後に欠かせぬ護身薬  万人必携 常備救急」
掲載:昭和16年10月 

抵抗力のイメージとしてガスマスクを使っているのが時代である。
内容
「抵抗力つくる!胃腸強壮薬  〜 今 食傷・胸やけ 下痢・腹痛の危機 戦地で役立つ陣中薬 慰問の度に忘れず同封」
掲載:昭和16年10月 

厚生薬といい増健薬といい当時の仁丹は健康になるための万能薬の趣である。
内容
「胃腸強化の厚生薬  仁丹の御常用で〜  胃腸の強化から創り上げた真の健康体を得る 銃後の万人が必須の増健薬」
掲載:昭和16年10月 

様々な工夫で宣伝文句を並べるが、最後は慰問で締めるのがお決まり。
内容
「過労を防ぐ厚生薬 疲れが重なると… 健康が崩れる 疲れたら何と言っても仁丹! 〜 多忙な時局下手離せぬ活動源 〜 慰問 戦地で一番お喜びの重宝な仁丹 便り度に必ず!」
掲載:昭和16年10月 

毎月一日の興亜奉公日に合わせた広告。仁丹につながる論理展開が見事である。
内容
「興亜奉公日 生活能率を高めよう
此秋・大時局撃破への逞しい構えは更に日常生活の中から、新しい「労力と時間」を生み出し お国の為に役立たせるが焦眉の急務…
一、隣保協力、凡ゆる無駄を省き 二、生活は単純に、力強く再編成 三、臨戦段階へ更に総力の結集を
 心身の疲労を去り 新しい活動力を振起し 胃腸を強め持久的体力を創る 必携薬仁丹」
掲載:昭和16年11月 

全国体育週間とは11月3日の明治節(今の文化の日)前後の展に設定されたもので、学校で体育行事が行われた。この体育週間と仁丹をつなげ、体力錬成には仁丹の連用とPRしている。
内容
「鍛えよ 戦時体力を
全国体育週間
秋天の下颯爽の体育鍛錬と共に体力錬成の鍵は仁丹の御連用!
消化吸収を促進して栄養が身につき 心身過労を消して生気充溢
 胃腸に 腹痛に 頭痛に 疲労に 消化と毒消けし 仁丹」
掲載:昭和16年11月 

毎月一日の興亜奉公日に合わせた広告。国民の戦意高揚に大きく役立っているのであろう。飛行艇のイラストも面白い。
内容
「きょう興亜奉公日 一億鉄火の前進のみ
国土に脈打つ決戦態勢!今ぞ隣保更に結び 生活を通じて奉公の誠を捧げ赫燿たる世紀の暁明を迎えよう 森下仁丹株式会社
明るく強く生気が湧く戦線に銃後に救急と護身の必携薬」
掲載:昭和16年12月 

銃剣道のイラストは活を入れるを表しているのであろう。
内容
「消化機能に活!
仁丹の常用は胃腸の働きをグンと活発にし 食物常にうまく 充分消化吸収し 豊かに栄養を充実して体位漸次向上
 消化促進 頭痛消退 疲労恢復
慰問薬として一番お喜びの仁丹…お便りの度に必ず!
家庭に 職場に 消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和16年12月 

常備薬ではなく、常持薬とはいつも持ち歩くという意味か。国民薬の貫禄である。
内容
「健康躍進の常持薬!
仁丹の生命は虚弱者は勿論 無病者の持薬として 絶えず胃腸の機能を是正し栄養を昂め 健康更に躍動…心身を爽やかに鼓舞する!
胃腸に 腹痛に 頭痛に 疲労に
慰問第一品! 家庭に 職場に」
掲載:昭和16年12月 

昭和16年12月18及び22日付け広告。12月8日の米英宣戦布告を受けての広告である。緒戦の勝ち戦に国民全体が浸り、一方、勝って兜の緒を締めよ的な論調も多く、国民一丸戦争遂行の決意を新たにすべく、この様なスローガンが使われた。また、いずれも曲が付けられレコード化されていたようである。
内容
「大政翼賛会撰定標語  屠れ!米英我等の敵だ   進め一億火の玉だ! 
神国日本の興亡をかけ世紀の鉄槌断固と下る護国一億決戦生活は左掲に 森下仁丹本舗主
戦時生活五訓 大政翼賛会制定 第一、強くあれ、日本は国運を賭して居る、沈着冷静職場を守れ 第二、流言に迷うな、何事も当局の指示に従って行動せよ 第三、不要の預金引出し買溜めは国家への反逆と知れ 第四、防空、防火は隣組の協力で死守せよ 第五、花々しい戦果に酔うことなく この重大決戦を最後まで頑張れ
   銃後保健に 前線慰問に 戦時必需薬」
掲載:昭和16年12月 

効能に「倦怠」が追加されたようだが…、時代の緊張感を感じてしまう。
内容
「健康体への連用効果
無病の人にも日課として 毎食後仁丹数粒宛て 消化吸収グンと進み栄養向上!めきめき体力を増し 若々しい活動力が心身に満ち溢れる
戦地でも 一番お喜びの仁丹 慰問の袋に必ず!
胃腸の護りに 疲労の恢復に 救急の予防に 最適   胃弱に 腹痛に 頭痛に 倦怠に 
消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和16年12月 

偽物が出回るほど人気の商品であったことが伺われる。
内容
「ヒドイ類似品を仁丹と称して売って居るから この商標にお気をつけ下さい
仁丹に配せる阿仙の強い収斂性は腸壁を補正し腸疾患に著効 サフランは健胃・鎮静・補精に良く 其他和漢貴薬十余種を配剤しその複合効果で効率を昂める仁丹 
これから 薬腹を護り健康を増す持薬として仁丹が最適です 
冬の胃腸に 慰問にも」
掲載:昭和16年12月 

正月飾りに戦闘機というイラストはまさに戦時下のお正月を表している。新年早々、仁丹服んで大東亜戦争に勝とうという力強いメッセージである。
内容
「大東亜戦争完勝へ
凛と兜の緒を締めて愈々重大なこの歳へ必勝一億皆な戦士
挺身敢闘 職場を護ろう 体力は国力 仁丹常用で 胃腸は強く消化吸収が進み 疲労頭痛を去り生気が湧き 漸次体力を増し旺盛な活動力がつく 胃腸に頭痛に食傷に」
掲載:昭和17年1月 

航空母艦と甲板から発艦する攻撃機のイラストを真ん中に据えた勇ましい広告である。真珠湾攻撃の様子を表しているのであろうか。この空母は飛行甲板が三段式空母の姿であるので、「赤城」か「加賀」と推測されるが、掲載された昭和17年初頭には既に一段全通式空母に改装されて数年が経過している。改装後の姿は秘密保持の関係で一般には知られていなかったのであろう。
内容
「大東亜決戦へ 無敵銃後の仁丹 消化と毒けし
しっかり兜の緒を締めて今ぞ一億皆戦士 断固 挺身!職域へ 強い体が必勝の基礎  絶えず仁丹の活用で 胃腸は強く消化吸収力進み体力をつけ 疲労や頭痛はスグ一掃常に生気爽やかに 心身に共旺盛な活力を振起する  家庭に工場に街頭に田園に
慰問に 兵隊さんの胃腸を護り咽喉を潤し疲れを防ぐ陸にも海にも要る 仁丹!   頭痛に疲労に胃腸に胃痛に腹痛に下痢に」
掲載:昭和17年1月 

仁丹の効能は今と違って胃腸の不調全般に効く様であり、携帯にも便利であるため、慰問品として人気であったのであろう。
現行仁丹の効能:気分不快、口臭、二日酔い、宿酔、胸つかえ、悪心嘔吐、溜飲、めまい、暑気あたり、乗物酔い。
内容
「消化を進める仁丹
毎食後 仁丹で消化を補いつゝ胃腸を強く改造 食傷・胸やけ 冷え腹・下痢 等は数粒で快よく一掃
戦地へ 慰問の度にゼヒ同封― 兵隊さんの胃腸を護り疲れを払う 御待望の戦陣薬」
掲載:昭和17年1月 

銃前には戦地の慰問、銃後には職場でと、並列でその効果をアピールしている。 銃後は工場で働く工員のイラスト、銃前は小さくて見にくいが、その機影から九五式水上偵察機のイラストが用いられている。大々的に兵器のイラストを使わないのはやはり軍事機密であり防諜の一環であろうか。
内容
「銃前…銃後に
戦地で 何物にも優る携帯薬として 胃腸強化 口渇予防 疲労恢復 に仁丹 絶えず!慰問に
職場の 心身疲労を去り 明朗旺盛な 活動力と持久力を保つ! 仁丹
その成分 健胃補精浄血に効くサフラン、収斂性に依り整腸効果の強き阿仙薬 其他和漢貴薬十余種の誇る可き配剤にて類似品の及ぶ所に非ず」
掲載:昭和17年1月 

イラストは、ラッパ兵に発艦する戦闘機と空母。戦艦ではなく空母を使っているところから、空母力が一般にも認識されていることが見て取れる。
内容
「皇軍将士に感謝の誠を
東亜の宿敵必殺へ 一度起つや半球の地図を塗り替う!偉大なる皇軍に無限の感謝を捧げ 更に彌々武運の長久を祷り 銃後一丸 火線に闘う烈しさに 持場を護って 固苦に耐えて 凜乎堂々邁進せん 森下仁丹本舗
慰問の第一品 疲労に 口渇に 胃腸に お便りの度に必ず仁丹」
掲載:昭和17年2月 

先週の広告と同様の趣旨を、言い回しを変えて掲載している。イラストは、爆撃機に軍艦の雄姿である。
内容
「偉大なる皇軍将士に 感謝の熱誠を捧げよう
東亜の宿敵撃滅へ 一度起つや半球の地図を塗り替う 燦たる皇軍に限りなき感謝を捧げ 銃後一丸 砲火を衝く 意気と決意に 持場を固め 凜乎不動 聖業の完遂へ 仁丹本舗主 森下博 謹白
慰問薬として前線に最も重宝せられ 保健薬として銃後の職場に家庭に新しい活力の源となる 必携薬仁丹 胃腸に 頭痛に 疲労に」
掲載:昭和17年2月 

2月11日付けの広告。紀元節とは、神武天皇の即位の日で、今の建国記念日にあたる。 文章中の肇国(ちょうこく)とは、建国の意味である。
内容
「祝 紀元節
畏し 肇国大精神の下 捷って捷ちぬく斯の聖戦 御稜威の皇軍に 感謝限り無く 銃後一丸 国路に 挺身せん 森下仁丹本舗
家庭に 職場に 前線に」
掲載:昭和17年2月 

昭和17年2月15日のシンガポール陥落を祝した広告、英領であったシンガポール攻略は、太平洋戦争の緒戦のマレー作戦の最終目標であった。
この日、神奈川県内は歓喜湧きかえり、「よくやってくれた、おめでとう、おめでとう」の合言葉が舞い、県下各市町村では、祝賀行事が行われた。
内容
「祝 シンガポール陥落
勝鬨は世紀を震撼させて シンガポール遂に潰ゆ 東亜侵略の大要衝を屠る 燦たり 神速皇軍 鴻図愈々新段階 銃後一丸 更に凛乎国路を往かん  森下仁丹本舗  銃後に 戦線に」
掲載:昭和17年2月 

歓喜のシンガポール陥落から一転、戦時下の日常に舞い戻った広告。 仁丹の効能がすごいことになっている。粗食とは、御飯にお新香にお茶のみということのようである。
内容
「斯くして 粗食も栄養ノ
仁丹で腹を整え 消化を進め なんでも美味しく すべてを栄養化
胃腸に 食傷に 腹痛に 朝夕 食後に 欠かせぬ 増健薬」
掲載:昭和17年2月 

働け、働けの国策広告である。しかも、「倍頑張ろう」という労働強化広告となっている。戦争とは、当然ながら銃後も戦いなのである。
内容
「不敗の国民 皆労体制
仁丹で気分を明るく 疲労を消して いつも活き活き 倍頑張ろう
職場に 家庭に 勤労に
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和17年2月 

満州国設立から早10年。これを記念した広告である。中央に翻るのは満洲国旗である。
内容
「祝 満洲建国十周年
必勝の銃後に前線に 疲労を防ぎ胃腸を護る 厚生要薬 仁丹」
掲載:昭和17年3月 

大詔奉戴日とは、昭和16年12月8日の開戦日に宣戦の詔勅が公布されたことに因んで毎月8日に設定された。この日は、詔書奉読、必勝祈願、国旗掲揚、職域奉公、その他大政翼賛会の決定事項伝達などを行うことで戦意高揚を図った。昭和17年1月8日から開始され、これ伴い毎月1日の興亜奉公日は廃止された。
内容
「きょう 大詔奉戴日
開戦以来の護国の散華に限無き感謝を捧げ 皇軍神兵の武運無窮を祈念し 雄渾壮絶なる大業翼賛の爲凡る困苦を笑って進もう 森下仁丹本舗
爽快な 疲労恢復 強力な 胃腸整備 銃後保健 戦線慰問 に御愛用頂く 厚生薬仁丹」
掲載:昭和17年3月 

一転、家庭常備薬の広告である。
内容
「3月 毎日の健康
職場に 家庭に 学校に 一番効果的な仁丹連用! 胃と腸を強くし消化と栄養を高率にし 絶えず心身の疲労を除去し清新な活力を振起 これから 職場に戦地に一番賞讃される護身薬
胃腸に 頭痛に 仁丹」
掲載:昭和17年3月 

今の仁丹からは想像できない効能である。
内容
「高度栄養補給
それには…強力な胃腸をつくる 仁丹連用が最適 消化組織と機能を強化調整し 食物何でも美味しく消化吸収を完全にし次第に体力を充溢す 銃後の体力の確保には仁丹!
家庭に 職場に 戦地に 疲労を去り 心身に生気を鼓舞する 護身要薬
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和17年3月 

鉄桶(てっとう)とは、 団結・防備などが堅くて、少しもすきがないことのたとえであり、この頃、鉄壁な防空体制などをあらわすのに良く使われていた言葉である。なお、イラストの子どもが持っているものは、仁丹である。
内容
「皆労の健康陣
鉄桶の銃後に厚生薬仁丹
勝ちぬく皇軍に応えて皆労の職場に 家庭に 疲労防止 常に清新溌剌の気力と持久的体力をつけ 胃腸強化 粗食も良く消化吸収し漸次栄養を充実する 仁丹のんで漲る活気を揺るがぬ健康創って頑張ろう!
頭痛に 眩暈に 胃腸に 慰問品第一品 仁丹」
掲載:昭和17年3月 

今回は、皆労や戦地・慰問等の言葉がなく、家庭用薬としての仁丹の広告となっている。
内容
「病禍一掃
毎日日課として仁丹連用は 口中を殺菌し経口的病原を防ぐ 胃腸を強盛にして 栄養…次第に充実 疲労を溜めず 心身常に晴朗!
頭痛に 疲労に 眩暈に 胃腸に 食傷に 腹痛に 厚生要薬 仁丹」
掲載:昭和17年3月 

森下仁丹本舗は、昭和17年3月期にはなんと、7回、つまり週1回以上新聞広告を掲載している。しかも毎回異なったデザイン・内容であり、当時としては広告に非常に力を入れていたことがわかる。
内容
「国民の厚生薬
万人が身につけて 救護と増健に一番優れた効果の仁丹 胃腸を強力にし消化作用を進め栄養完全 疲労頭痛を消し常に生々の活気充満
外出に 〜 胃弱に 腹痛に 頭痛に 疲労に」
掲載:昭和17年3月 

昭和17年新年度最初の広告は、子供向けである。仁丹が救護薬とは今のイメージからは考えられないが…。
内容
「新学期 お子達のポケットに 救護薬仁丹を!
これから兎角多い胃腸の障りを防ぎ頭や体の疲れを消す 仁丹こそ幼い心身を安全に護る必携薬
胃腸に 腹痛に 頭痛に 疲労に 仁丹」
掲載:昭和17年4月 

第四回大詔奉戴日 昭和17年4月8日付けである。つまり第一回は1月8日であった。国威顕彰、戦意昂揚を図る日である。
内容
「第四回 大詔奉戴日
この役 国運を一挙に賭す 神州の精鋭に応え銃後寸毫の緩みなく天孫民族の大使命に突撃せん 森下仁丹本舗
銃後厚生 前線慰問 必需要薬
胃腸に 頭痛に 疲労に 仁丹」
掲載:昭和17年4月 

相変わらず戦意高揚、勤労報国に乗じた販売戦略、絶好調である。
内容
「突撃する銃後
増産に 職場に 生気を漲らす 仁丹のんで
不断!疲れを一掃し 頭軽く爽かに 清新の力湧き 胃腸をととのえ持久体力の源 必勝不敗の銃後活動に仁丹
体力と気力に 頭痛に 疲労に 胃腸に 国民の厚生薬 仁丹」
掲載:昭和17年4月 

全く 仁丹の効能は素晴らしいものがある。銃後に必須の薬である。
内容
「春だ! 職場だ 増産だ
心身疲労を払拭し 湧立つ生気と 活動的体力を ぐんぐん充実する 厚生要薬 仁丹
愈々戦地で仁丹の要る季節 頭痛に 疲労に 胃腸に 食傷に 消化と毒けし 仁丹
持久体力を」
掲載:昭和17年4月 

仁丹の効能を分り易く箇条書きレイアウトで構成。
内容
「疲れを払拭し 漲る様に沸上る気力体力 過労予防に仁丹!職場に 戦地に
胃腸の…障りを一掃して消化増強 栄養を確かり保つ 仁丹
健康な人にも 救急と増健に 何物にも優る効果をもつ 厚生薬
頭痛に 疲労に 胃弱に 腹痛に 仁丹」
掲載:昭和17年4月 

仁丹の清涼感を全面に押し出したコピーである。
内容
「疲れや 不快 スグ 明朗
仁丹数粒! 爽かに、過労や頭痛を撃退し 頭も体も 生気颯々
劇しい職場に 戦地慰問に 今 一番重宝され何物にも優れた 厚生要薬
仁丹」
掲載:昭和17年4月 

前回の清涼感と打って変わって、万能薬 仁丹。今度は護身剤である。
内容
「戦時活動に新しい力を 
不断 仁丹を召すが一番! 強い消化作用は 総て剰さず栄養化 体力確保に最適・・ しかも 心身疲労去り 頭痛息切れせず 新しい活力を盛り返す 護身剤
職場に 家庭に 戦地に 胃弱に 腹痛に 頭痛に 疲労に 
消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年4月 

胃腸を強化する効能があることを徹底的にアピールしている。イラストの台所は、西洋風台所だが、一般国民はイメージできているのだろうか。
内容
「戦時食生活
何でも消化し栄養化する 強い胃、強い腸をつくる仁丹!
・食傷や腹痛 ・消化不良に ・栄養欠如に 必ず効果表われ 心身活力の源となる 
仁丹」
掲載:昭和17年4月 

南方への戦果拡大に伴って、仁丹も世界進出。インドにも勢力を拡大しようとしている。大東亜の厚生薬と言えるほど国際的な薬となったのであろうか。
内容
「南方圏とじんたん
正に三十年前 ジャバ島スマランに支店を置き将た印度に雄飛せし仁丹は  今皇軍の大戦果に深大の感激を捧げ 愈々南方厚生の使命達成へ
殺菌に 胃腸に 疲労に 頭痛に 口渇に 職場に 戦地に 大東亜の厚生薬
仁丹」
掲載:昭和17年4月 

仁丹は月に数回広告を掲載しているが、毎回内容を変更している。キャッチコピーを考えるのも至難だと思われるが、誇大?さが増していくようである。
内容
「絶えず病原を防ぐ 鍛錬に 職場に 欠かせぬ仁丹
これから仁丹常用は 口から浸入する病原を防除し 独自な毒消しと整腸の力は 腹の故障を快く一掃する
胃弱に 腹痛に 食傷に 下痢に 戦地にも銃後にも 護身要薬」
掲載:昭和17年4月 

食欲の秋をイメージするイラスト(梨、葡萄、柘榴、栗、椎茸、秋刀魚)は、戦時であることを忘れさせてくれる。黒くつぶれている木材?には「実りの秋」「賑わう食物」と書かれている。
内容
「秋の胃腸に  慰問要薬
栄養がムダ無く身につく仁丹の連用 仁丹は胃腸壁を浄化収斂しその機能を昂め、消化吸収を著しく促進し、漸次栄養を増進します
とかく多い胃腸障碍にも何より仁丹が一番 仁丹は胃腸内の異常発酵、自家中毒、腹痛下痢を防ぎ有害菌や毒物を滅除します
胃弱に 腹痛に 頭痛に 疲労に 消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年10月 

24時制は、時間を間違えにくいことから、軍事時間とも言われるが、戦時中ならではの制度改正である。また、仁丹とは無関係であり、献納広告の一種であろう。
内容
「一日中役立つ護身薬
毎食後きめて数粒宛の仁丹は 消化と吸収を促進 胃腸障碍を防ぎ栄養を倍増 殊に心身の疲労や頭痛、不快等 迅速に除去
仁丹   胃腸に 頭痛に 疲労に
二十四時制 十月十一日より実施 早く慣れましょう 便利な二十四時制」
掲載:昭和17年10月 

とにかく体力が求められた時代、体力を表すとして、体操のイラストが用いられている。海軍体操であろうか。
内容
「勝ちぬく体力
職場に 家庭に 鍛錬に 仁丹あり― 
・頭脳明晰 ・胃腸強化 ・疲労恢復 一億必携の厚生要薬
火花の出る様な時局活動に 心身生気の源は! 仁丹」
掲載:昭和17年10月 

火ばたきを手にした婦人。防空訓練であろう。戦場も銃後も体力勝負の時代である。「倍働く」や「粗食」の言葉が並び、当時の社会情勢が伺える。
内容
「決戦下の体力
倍働いても疲れない 逞しい体力をつくるためには! 毎日仁丹常用で 胃腸の組織機能を強化調整 時局下の粗食でも 美味く良く消化吸収され日常継続的に栄養の蓄積される 特にこれから冷え込みの胃腸障害に欠かせぬ 仁丹
頭脳には…ヅキヅキ頭のいたむ時 疲れて重く鈍った時 思考や記憶力の弱った時 スグ爽やかに恢復 新鮮な気分が漲る 今こそ家庭に職場に 厚生と救急必携の仁丹
戦線で 口渇を潤し 胃腸を護り 悪疫をふせぎ 疲れを去る 護身要薬  胃痛に 腹痛に 疲労に 頭痛に 慰問に
慰問に 手紙の中にも同封できます 消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年10月 

ここのところ、栄養という言葉が盛んに用いられているが、それだけ栄養状態が悪かったことが推測される。羽釜のイラストが可愛らしい。
内容
「栄養満点 粗食も活かす 仁丹常用
新しい力が胃腸につき 何んな物でも良く消化し ぐんぐん吸収を助長し 張り切った健康を創る 時局下の厚生要薬
戦地でも 特にお待ちの仁丹! 胃腸に 頭痛に 疲労に」
掲載:昭和17年10月 

季節に合わせて稲刈りのイラストであるが、これもまた、コピーに似合わず、戦時中を忘れさせるような、ほのぼのした感じである。
内容
「決戦下の体力
何んな食物でも完全消化で ムダなく身につけて 体位の向上を図る事 頭や体の疲れを蓄めず生気を保つ事 共に仁丹が最適
胃腸に 頭痛に 疲労に  消化と毒けし  仁丹」
掲載:昭和17年10月 

厚生要薬、救急・保健要薬、護身必携薬の豪華3本立て広告。
内容
「増産だ 体力だ 必勝日本の職場に欠かせぬ仁丹 絶えず生々した元気を養う 厚生要薬
その薬能は! 仁丹は高貴薬相互の複合効果的配剤にて、阿仙の収斂性、メンタの消炎と昂奮性、サフランの補血並に補精の薬力を高率に発揮させ、救急、保健要薬として完璧を期せられて居ます
仁丹の連用は目に見えて! 食欲進み 食物美味 消化満点 栄養充つ 特に 頭と体の疲れ払拭 新鮮な活力の源 今 銃後と前線に愈々要る 護身必携薬
胃痛に 疲労に 頭痛に 慰問に  消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年10月 

明治節(11月3日:明治天皇誕生日。今は文化の日)の奉祝と合わせて、戦争協力の啓蒙を図るといった定石の広告。
内容
「奉頌 明治節  赫耀たる 大東亜戦第一回の佳節を祝し奉り 必勝態勢を更に鋼鉄の如く! 仁丹本舗  国民奉祝の時刻 午前九時
逞しい体力こそ決戦時代の要請! 栄養低下を防ぐ爲 何んな物でも消化吸収を完全にすること 心身疲労を防いで常に気力の新鋭を保つこと この二つを絶えず解決し体力増強には 卓絶せる仁丹連用
胃弱に 腹痛に 頭痛に 疲労に 消化と毒けし仁丹   慰問に一番重用され何時でもお喜び頂ける護身薬」
掲載:昭和17年11月 

明治節や大詔奉戴日など、節目節目を利用した体制への協力広告が仁丹の真骨頂。
内容
「きょう大詔奉戴日 爪牙を磨く敵を忘れず 戦抜く生活全面勿体ないに徹して絶対不敗の底力を! 森下仁丹本舗
この日!慰問を出しましょう 戦地で一番重宝な一番御待望の仁丹を入れて! これからの冷え性を防ぎ 咽喉をまもり 疲労をふせぐ 
胃腸に 疲労に 頭痛に 仁丹」
掲載:昭和17年11月 

大東亜戦争開戦から2年目を迎え、国民に対して戦意高揚、戦争協力を煽る正に国策広告である。
内容
「戦力強化の十二月 さあ二年目も勝抜くぞ! 
増産だ 貯蓄だ 防空だ 頑健な体躯と清新な気分で
増産の職場へ頭を軽く披露を防ぐ
 慰問要薬 消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年12月 

このイラスト、前広告にも増して、戦意高揚を図る迫力の広告である。効能書きに新たに「眩暈」が加わった。
内容
「米英撃滅へ一周年 一億挙って戦力の強化へ
きょう午前十一時五十九分 一億一斉黙祷祈念の時刻 靖国の忠霊に感謝し 皇軍の武運長久を祈り 銃後熱鉄戦力の強化を誓う
慰問に 前線で一番お喜びの重宝な仁丹 寒さ暑さに胃腸を護り 激しい疲れ頭痛を去り いつでも元気の源となる 護身要薬
胃弱に 腹痛に 頭痛に 眩暈に 仁丹」
掲載:昭和17年12月 

仁丹で冬に打勝つ体力がつくとは、かなりの誇大広告である。しかし、広告で、毎度訴えているので、仁丹が体力強化に効くというのは当時の常識になっていたことが推測される。
内容
「耐寒の体力
絶えず胃腸に力をつけ 消化をよくし 完全に栄養化し而も頭痛や疲労を消散する 仁丹を常用してこの冬も頑張り抜こう
口腔の浄化と殺菌で喉を護り風邪引を防ぐ
戦地で救急〜 仁丹 お正月の慰問袋に 今― 手紙〜  消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年12月 

仁丹を常用させるために、口を結ぶことを運動として訴え、それが戦時の心構えの啓蒙につながるという、一石二鳥のうまい広告である。
内容
「『口を結ぶ』運動
一、大国民の態度として 一、駄って働く姿として 一、防諜の実践として 一、保健衛生の心得として 常に確かり口を結ぼう
寒さのこれからいつも仁丹含んで居れば 咽喉を護り、感冒菌を防ぎ 殊に冷腹、胃腸障碍に適効
殺菌に 胃腸に 頭痛に 消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和17年12月 

仁丹らしいとても勇ましい広告。戦意昂揚のために軍艦のイラストが何回か用いられているが、これの艦影は巡洋艦のようだが、前部には4つ、後部に3つの砲塔をもつ超重装備であり、架空の軍艦である。
内容
「撃滅進軍 第二年  今年の決意火の如く
職場職場に最高の力を発揮する 強健な体力 旺盛な気力を培う仁丹こそ 手離なせぬ厚生要薬
胃弱に 腹痛に 頭痛に 疲労に 慰問に 一番喜ばれる要薬    消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和18年1月 

銃後の生産現場=工場を細かいイラストで描いており、当時の工場の様子がうかがい知れる。ハンマーヘッドクレーンが見えるが造船所であろうか。過労と言う言葉が使われているが、これは疲労が蓄積された状態であり、当時の社会はすでに過労状態であったのであろうか。
内容
「決戦銃後の増産陣に 持って力になる護身薬 スグ頭や体の過労を一掃 新鮮な気力を振起 腹胃を整え体力を内から増強する仁丹
胃痛に 疲労に 胃弱に 腹痛に  消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和18年1月 

仕事と慰問の両面から分り易くアピールしている。中央のイラストは夜の都会の街並みであるが、生気を養うのは仕事を終えた家庭でということを表しているのであろうか。また慰問では、戦闘機のイラストを加えて戦地の臨場感を出している。
内容
「仕事に生気を
今日此頃 寒さや過労に心身共に委縮する時 仁丹さへあれば 冷え腹を防ぎ胃腸を整え栄養を向上し 疲労頭痛を消し心身共に常に生気を増し 内から盛り上る 体力と気力を保ち 何んな仕事も愉快に全力を発揮出来る
家庭に 職場に 戦地に    あすの戦力生む 慰問に 仁丹だけはいつでも欠かせぬ一番歓迎される 護身要薬 仁丹」
掲載:昭和18年1月 

すっきりと、分り易く仁丹の効能を表現している。この位が広告としての完成度は高い。イラストは出し桁造りの商家が並ぶ通り筋、自転車が走り、人力車らしきものも見える日本の普通のまちであり、戦時中であるがほのぼのとした印象である。
内容
「仕事に生気を 疲労恢復の仁丹
頭のつかれや痛み 体の疲れやだるさ等 どんな不快さも爽やかに一掃して 溌剌の鋭気漲る 仁丹―数粒 更に 胃腸を整えて消化、吸収を進め 体位を漸増する。
慰問要薬 仁丹」
掲載:昭和18年1月 

仁丹として珍しい縦型の広告である。前回に続きすっきりした分り易い広告に変わっており、今までの誇大広告がうそのようである。
内容
「直ぐに仁丹 消化と整腸
職場の護身に 戦地の慰問に
仁丹」
掲載:昭和18年1月 

イラストは赤ちゃんを抱えた洋装のお母さん。アラビア数字を使うなどモダンな広告となっている。戦地や慰問の言葉もない。太平洋戦争2年目に入っているのだが、この広告を見る限り、まだ社会に余裕があることが感じられる。
内容
「寒い2月 押し切る体力!
仁丹で鍛えた胃腸の底力で消化吸収進み 疲労を癒し 仕事に 根気つく 
職場に 家庭に 必携
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年2月 

これも戦意高揚の意図がない。雪が降るしきる夜、石炭ストーブのある暖かい部屋といったイラストである。意味するところは、締め切った部屋で鈍った頭は、仁丹でスッキリということ。
内容
「頭脳晴明! 仕事疲れや閉室内でドンヨリ鈍り 痛む頭には 仁丹に優る物なし 直ぐに忘れた様に軽く 明るく爽かに解消し 心気清爽無比!
寒さに屈せぬ体力と元気の源 頭痛に 胃腸に 疲労に
 職場に 戦地に 仁丹」
掲載:昭和18年2月 

仁丹ならではの大詔奉戴日の広告。レンネルの勝鬨とは、1月29日に行われた日本の勝利で終わったレンネル島沖海戦のことで、大本営発表では戦艦2隻、巡洋艦3隻撃沈だが、実際は重巡1隻撃沈のみであった。
内容
「あす八日 大詔奉戴日 大戦果挙るレンネルの勝鬨の応え今こそ!凡てを勝利の爲に
この日慰問を実行しましょう 兵隊さんの疲れを消し胃腸を強め元気を増す 仁丹も入れて
消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和18年2月 

2月11日の紀元節(建国記念日)を祝い、新ためて国威顕彰、戦意昂揚を呼びかける献納広告。
内容
「大決戦下の紀元節を祝し奉る
肇國の意志烈々 大東亜建造の鴻業進むこの秋 皇恩の無窮に泣き  挺身必勝 敵撃尽の一途あるのみ  森下仁丹本舗 
きょう一億奉祝の時間 午前九時    薬業報国四十年 決戦下の銃後と前線に保健護身の使命を担う厚生要薬仁丹
胃腸に 腹痛に 疲労に 頭痛に  消化と毒けし 仁丹」
掲載:昭和18年2月 

寒さによる腹の冷えとは現代では考えにくい症状である。寝冷えは、薄着や薄掛けによる腹の冷えで、不注意の範疇であり、冬のものではないと思う。これは当時の住環境によるもので、寝冷えとはニュアンスが異なると思われる。仁丹は寒さに強い体を作って根本的な解決を得るという。
内容
「寒さの冷え腹に今仁丹に優るものなし
胃と腸の力を養い 食物うまく 充分消化し 寒さに負けぬ栄養を 蓄積する仁丹!
戦地へ 疲れを防ぎ胃腸を護り何より重宝な最上の慰問要薬
仁丹」
掲載:昭和18年2月 

いよいよ、子どももターゲットに打ち出してきた。しかも親心を前面に出して。また、「幼い頭脳を護る」には驚かされるが、根拠はなんであろう。
効能として粗食の栄養化は以前から打ち出していたが、粗食の内容として雑食や玄米という言葉が現れている。食糧事情が一段と深刻化していることが伺える。
内容
「母ごゝろ
学童の保健に欠かせぬ仁丹
玄米、雑食にも胃腸を損なわずよく栄養化し体位を向上 更に幼い頭脳を護るも仁丹
胃弱に 腹痛に 頭痛に 消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年3月 

「撃ちてし止まん」とは、この頃盛んに使われたスローガンで、敵を打たずにはおくものかという意味。もともと、古事記の神武天皇東征の際の記述からとられたもの。イラストも突撃の勇ましい場面。
内容
「撃ちてし止まん
一億敢闘 銃後も火線を衝く意気で!
戦力を造る慰問を絶やすまい 護身の仁丹絶やすまい
激しい 疲労口渇を去り 胃腸を護り体力と元気を培う仁丹 戦地で一番御喜び 
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年3月 

食糧事情の悪さが伝わってくる内容である。しかし、それを利用した広告であり、イラストの宣伝カーで宣伝をして回ったのであろうか。
内容
「優れた消化力
戦時食 粗食雑食の時局下 体力確保に 仁丹の常用 消化機能を旺盛に栄養化を促進して 体力を漸増する
慰問に必須の仁丹 特にお便りの度にゼヒ御同封!消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年3月 

今迄は脇役であった慰問が前面に打ち出されてきた。あの手この手で売り上げアップを図ることが生き残りの秘訣である。
「お便りの度に御同封」は、慰問要薬に代わる、前回からの新表現である。
内容
「戦力を培う慰問
同封の仁丹が兵隊さんの胃腸を護り 疲れを拭い 喉をうるおす 水あたりや食傷を防ぎ鋭気満ちて元気百倍 
お便りの度に忘れず御同封! 仁丹」
掲載:昭和18年3月 

はっぱの掛け方が半端ない広告。
内容
「増産へ!
増産へ 増産へ 頑張る銃後の保健薬―仁丹 強い胃腸 明快な頭 疲れぬ体 を保つ仁丹
持久体力を培う
戦地へお便りの度に忘れず御同封! 
消化と毒消し  仁丹」
掲載:昭和18年3月 

前回の増産に引き続き、働かせようという広告。仕事始め、食後、休憩といつでも仁丹を服用してほしいということだが、摂りすぎの害はなかったのであろうか。
イラストのクレーンが18年1月の広告と同じである。
内容
「疲労消耗を防ぐ
増産陣に必携の仁丹! 仕事の始めに 食後に・休憩に 仁丹で頭をハッキリ 体をスッキリ 爽やかな気分 強い胃腸と 疲れぬ体で頑張ろう
仁丹」
掲載:昭和18年3月 

前々回、前回と、国民を働かせようという広告が続く。イラストが力仕事ばかりである。しかもゲートルを巻いて国民服のようであるが、この服装が奨励されていた。
内容
「倍働く 頑張りは仁丹から―
常に胃腸を整え 頭を軽く 疲れを防ぎ 持久体力を培う仁丹!
銃後の保健に 戦地へ慰問に 
仁丹」
掲載:昭和18年3月 

進級、入学の季節の広告。学生帽にランドセル、半ズボンは定番である。物資不足とはいえ、まだこの服装のイラストを載せる余裕があるのか。戦時色が見られないが、国策に協力するだけでなくしっかり戦略をもって広告を打っていることがわかる。
内容
「新学年の健康に
毎日―仁丹 いつも身心爽かに 頭を軽るく 胸をすかす 
勉強に 運動に 鍛錬に 必携 
仁丹」
掲載:昭和18年4月 

季節を活かしたコピーである。イラストは、お茶をしている男性二人が見せ合っているのは、そう 仁丹である。
内容
「春の生気は仁丹から
仁丹を常用して 明るい頭脳 快調な胃腸 を保ち 疲労も 気鬱も快く一掃 溌剌の活力漲る! 
職場に 家庭に 
仁丹」
掲載:昭和18年4月 

仁丹恒例の大詔奉戴日の広告。春季攻勢とあるが、敵の攻勢があると言う事は、新聞報道などで広まっていたのであろう。
注目すべきは、横書き文字が左書きになっていること。左横書きは、開戦前から見られるようになっていたようだが、開戦後は米英文化排斥の観点であまり使用されなかった。仁丹もこの後はまた右書きに戻っていく。しかし、なぜこの時だけ?
内容
「撃滅誓う あす!8日
春季攻勢何物ぞ 防空鉄壁陣を 更に増強し 敵に一ト泡吹かせよう! 
銃後と 前線に 胃腸を護り 頭痛疲労を防ぎ生産倍増の 護身要薬 仁丹」
掲載:昭和18年4月 

この広告は、校正していないのか、ミスが散見される。文章のてにをはが、おかしい事や、文章が途切れている事、タイトルの「仕」と「事」の間の線も意味不明である。
内容
「仕/事が進む
仕事疲れを 疲れた頭を軽く明快にし 一日中 爽やか動ける活力の源泉  仁丹数粒は 拭き去り 気分を一新 能率を上る時々の仁丹 明朗な明日の健康はまず仁丹で胃腸を強めるこ 
慰問 戦地で一番待たれる活用無限の護身要薬 仁丹」
掲載:昭和18年4月 

仁丹恒例の大詔奉戴日の広告である。イラストは空襲対策物品、防火水槽、バケツ、火はたきである。
内容
「明8 大詔奉戴日 あの朝の感激を呼び醒まし撃滅一路に凡て忍ぼう 苦痛なしに戦争が出来るか!
時局下 防空救護用に 職場保健用に 戦地慰問用に 博大なる御賞讃を感謝致します
仁丹」
掲載:昭和18年5月 

戦争中である雰囲気は全く出さず、夏の風物詩でまとめた素朴な広告となっている。りんごが夏の風物とは知らなかった。
内容
「今から夏へ 保健と 救急に 絶えず御活用 仁丹
ふうりん きんぎょ りんご
胃腸に 消化進み栄養充つ 腹痛に 食中りに胸やけに 頭痛に 疲労に 倦怠に 総合薬効を誇る国民的常備薬」
掲載:昭和18年5月 

仁丹が永く訴え続けてきた「慰問に仁丹」をビジュアルで表現した最初の広告。ストレートでとても分かりやすい。
内容
「慰問の手紙に仁丹も 同封し銃後の真心を送ろう
兵隊さんの胃腸を護り 喉をうるほし 疲れを去る 戦陣必携 救急・護身薬」
掲載:昭和18年5月 

仁丹お馴染みの大詔奉戴日の広告。防空必勝とあるが、実際、本土は空襲を受けていないが、南方の最前線では空襲が日常であり、このままでは本土空襲も避けられないとの認識が既にあったのであろう。標語の「国民皆働」もこの頃良く使われていたようだ。
内容
「あす 大詔奉戴日
決意新たに 職場を固め 仇敵必殺の一槌一鍬を 防空必勝 護れ寸土も神の国
国民皆働
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年6月 

またまた、「皆働」という言葉が出てきた。イラストは女性職員が座っている男性職員に仁丹を勧めているところ。女性の服装はもちろんモンペである。
内容
「皆働の職場に
疲れを防ぎ 生気を漲らす 仁丹の御活用
頭をかるく 明快に保ち 惰気倦怠を爽やかに一掃 
仁丹」
掲載:昭和18年6月 

イラストだけ見ると非常時とは思われない明るい広告である。「躍動の7月」のコピーと、夏を彩るイラストの数々(ランニング、団扇、カンカン帽、テニスラケット、サングラス)は、爽やかで楽しい夏のイメージである。そして、このイメージにのせて、増産と錬成を訴える。やはり、戦時中なのである。
内容
「躍動の7月
増産へ突撃! 錬成に拍車!「一億敢闘実践運動」
胃腸を整え疲労を消す 夏に欠かせぬ 爽涼の仁丹 
消化と毒消し 仁丹」
掲載:昭和18年7月 

現在の夏の暑さは、猛暑などという言葉で語られるが、当時も炎暑と言われたことがわかるが、どの程度の気温であったのだろうか。金魚鉢が涼しげである。このところ、前線への慰問の文言が出てこないし、戦意を煽るよう表現もなくなっている。
内容
「炎暑来る!

まづ胃腸から鍛えよう  毎食後欠かさず 仁丹活用 消化進み 栄養充ち 体力漸増
胃弱に 疲労に 頭痛に」
掲載:昭和18年7月 

仁丹、恒例の大詔奉戴日の広告。久しぶりに戦争協力を求める内容になっている。また、慰問に仁丹も復活。
内容
「米英必滅  あす!大詔奉戴日 
苛烈なる死闘の現地を思い戦争生活の徹底実践に努めん 防空必勝と食糧増産へ一億の結集!
これから!咽喉の乾き疲労を防ぎ悪疫瘴癘に胃腸を護り生気を横溢にする
兵隊さんが一番に喜ぶ慰問袋や手紙の中に」
掲載:昭和18年7月 

仁丹の一番の効能は頭をスッキリさせること。この部分を強調して、職場の必携薬であることを訴えているが、その目的とするところは、もちろん増産である。
内容
「工場戦士の過労   怪我や故障は疲労から
時々仁丹を含んで 頭脳をスッキリと身心を爽快に保ち 更に 増産へ突撃しよう
事務に 筋労に 鍛錬に  仁丹」
掲載:昭和18年7月 

昭和18年1月以来の縦長のデザインである。シンプルな内容ながら目立つ広告に仕上がっている。 文中の「涼しい仁丹から」とは、口に含むとスーッとする清涼感からの表現であろう。
内容
「錬成の夏
溌剌の生気は涼しい仁丹から 胃腸に 頭痛に 疲労に 慰問にも
仁丹」
掲載:昭和18年7月 

「産業突撃」とは、銃後も前線ということの表現であろうが、日々時代にあった言葉を生み出してくるのに感心してしまう。「筋労」も筋肉労働の短縮形か。イラストは 円盤投げのようなフォームだが、たぶん鋳物作りであろう。
内容
「産業突撃に  事務に 筋労に
仁丹も一と役! 頭脳を護り 疲労を払い 常に新しい 生気漲る!
今手離せぬ 爽涼保健薬  仁丹」
掲載:昭和18年7月 

季節柄なのか、ここのところ「爽涼保健剤」を売り出しているが、爽やか仁丹が本来の姿であり、仁丹の夏なのだ。季節感たっぷりの広告になっている。
内容
「疲れる夏は 仁丹で活!
胃腸を整備 惰気を一掃 常に新しい 生気漲る!
職場に 家庭に 錬成に これから手離せぬ 爽涼保健剤  仁丹」
掲載:昭和18年7月 

「爽涼保健剤」が今回は「清涼保健剤」に変わったが、毎回デザインを変えているのだが、同じ内容を手を変え品を変えというのは、さすがというか、制作者の苦労がしのばれる。
内容
「増産へ拍車
仁丹を常用して 頭痛を軽く 心身を爽快に保ちつゝ 更に頑張ろう!
酷熱の職場に 必携の清涼保健剤  仁丹」
掲載:昭和18年7月 

今回は季節感に訴えた広告なのだが「清涼保健剤」が残念消えてしまった。夏を讃えるということで、イラストは夏山のようである。登山・ハイキングはレジャーのようだが、健康報国、つまり体を鍛える意味から奨励されていたのだ。
内容
「夏を讃う
暑さに打勝つ体力は仁丹で 胃腸強化が第一歩
今! 食傷に 胃弱に 腹痛に  頭痛に 疲労に   戦地へ   仁丹」
掲載:昭和18年7月 

7月は、10回目の広告である。これだけの数の広告を出す会社は、赤玉ポートワインを除けば、仁丹だけである。しかも、毎回内容、デザインを変えているのは驚きである。
慰問を前面に出した広告は久しぶりであるが、中国戦線より米英軍との戦い、南方戦線の状況が巷間の話題の中心になってきていることが伺える。
内容
「南方戦線を思えば
連日苛烈なる反撃を爆砕する皇軍の労苦を思い 今こそ銃後も決戦生活に徹しよう
何物にも優る護身剤となり活用ひろく一番お喜びの慰問要薬 胃痛に 口渇に 疲労に   仁丹」
掲載:昭和18年7月 

小児薬としての仁丹の広告。子供たちは国の宝であり、国を護る兵士となるべく丈夫に育てることが母親の勤めであった。仁丹がお役に立ちますという内容。仁丹マークの左手にも何か文言があるのだが、黒につぶれていて判読不明。
内容
「8月 お子達の護り
戦うお国の大事なお子達を護る・・・仁丹 寝冷や腹こわしを防ぎ栄養進み 幼い頭を暑さに護る 護身の仁丹〜   仁丹」
掲載:昭和18年8月 

久方ぶりの迫力あるイラスト。闘魂たぎるというコピーと、戦艦の雄姿を前面に押し出すことで、仁丹の効能を力強くアピールしている。
内容
「闘魂たぎる
鉄の五体が物を言う いざ鍛え練らん 八月の烈日の中興亡を擔う この身この心を!(八月の宣□の内)
銃後に前線に健民の要薬 
今!胃腸に 頭痛に 疲労に 仁丹」 掲載:昭和18年8月 

慰問用品としての仁丹の広告。スーッとする仁丹は、暑い夏に確かに喜ばれる慰問品であったのだろう。「元気百倍」というキャッチは効果的であるし、「口渇に」は、この季節ならではの効能である。
内容
「暑い戦地へ! 
ジャングルの炎える暑熱に奮戦する兵隊さんがお喜びの慰問の手紙に仁丹を是非同封しましょう 元気百倍!
腹痛に 口渇に 疲労に  仁丹」 掲載:昭和18年8月 

南方戦線特にソロモン付近の激闘、激戦のニュースは、内地でも盛んに報道されており、国民にとっても非常な関心事であったろう。この状況をとらえて、慰問品としての効能をうまくアピールした広告。マラリアで亡くなる兵士も多く、悪疫予防もしっかり宣伝している。
内容
「反撃する南へ
血闘打続く皇軍に 無限の感謝を捧げ 武運長久を祈り 真心の慰問を強化しましょう
口渇を防ぎ 疲労を去り 悪疫予防の 仁丹も入れて!」
掲載:昭和18年8月 

ここのところ、戦地への慰問品のアピールを欠かさず打ち出している。暑い夏と暑い南方戦線とのイメージを重ねて、爽やかな仁丹こそ慰問品として最適であるということを、販売促進につなげようとしている。

内容
「戦う工場
興亡担う増産戦!過労せぬよう 健康を保つよう 仁丹絶やさず 頭痛する 疲れた時 毎食後 必ず!数粒宛て
前線にも 一番お喜びの慰問薬 仁丹」
掲載:昭和18年8月 

仁丹恒例の大詔奉戴日の広告。粗食に堪えることを訴えている。戦地の兵隊さんたちと同じ戦っているつもりで労苦を共にしようということ。慰問品に好適とは売り文句の一つであるが、占領地の住民の宣撫にも役立っていたとは驚いた。

内容
「あす 大詔奉戴日 九月の実践
勝ち抜く爲 野戦の心で 粗食に堪えよう 混色・混炊・郷土食の上手な炊き方食べ方に工夫し その実行を期しましょう
決戦下の要薬として仁丹 前線保健に慰問御用に原住民の宣撫、厚生に絶えず御奉公出来ます事を感謝致します
仁丹」
掲載:昭和18年9月 

仁丹恒例の大詔奉戴日の次は、航空日である。航空日とは、明治43年の徳川好敏、日野熊蔵両陸軍大尉による日本初の動力飛行から30年後の昭和15年9月28日に制定された。 翌年「航空日」は9月20日と決定され、航空に関する思想や知識の普及を計ることを目的とした。 現在は、「空の日」に改称され、航空に関するさまざまな企画が行われている。 今年は第4回である。

内容
「あす 航空日 皇鷲に無限の感謝を捧げ 空を護り 空に勝つ爲 一機でも多く前線に送ろう
口渇に 頭痛に 疲労に
慰問の第一品
仁丹」
掲載:昭和18年9月 

現地での価値の高さを小説を引用して紹介するという新企画。籠いっぱいのパパイヤと同じ価値という現地の人気ぶりが凄いが、真実なのだろうか。

内容
「『パパイヤ』到来!
昭和十八年七月号「雑誌・新潮」行軍 豊田三郎
三名の宣伝班員と数名の従軍記者たちは岸の白い砂丘に座って、牛馬の群れを河へ追いこむ泰人の働きぶりをながめていた………(中略)もう「出発用意」でいそがしかった。田宮が「ドタさん」にリュック・サックや雑嚢や糧食を積んでいると、仁丹の袋が地面に落ちた。彼はじっと自分の仕事ぶりをみつめていた白髪の老婆に袋をひらいて丸薬を五粒ばかりあたへた すると、男の子供たちが列をつくり、次には女の子供たちがならび、最後に女達が列をつくって手をさしだした。彼は一粒づゝ掌のなかに赤い玉をなげいれた しばらくすると思いがけず老婆は大きな籠にいっぱいのパパイヤをはこんできた。「効果があったね。」北村はにやにやしてこの贈物をながめた……(下略)
戦う仁丹その四
仁丹」
掲載:昭和18年9月 

一見イラストが分かりにくいが、煙たなびくレンガの煙突であり、工場を表しているのであろう。

内容
「工場疲労に
増産敢闘の日々 疲労を溜めず絶えず、清新溢る活力の給源となる仁丹
仁丹」
掲載:昭和18年9月 

恒例の10月8日大詔奉戴日の広告。大試練の秋という言葉からは、勝利を伝える新聞報道とは裏腹に、戦況は芳しくない、苦戦状態にあることを国民は認識していたことが伺える。

内容
「大詔奉戴日 皇国大試練の秋
一億戦闘配置の下猛然蹶起勝利の途に挺身しよう
優しい慰問に仁丹添えて 胃腸に 疲労に 口渇に  仁丹」
掲載:昭和18年10月 

現地の宣撫に御奉公というあたりが戦争協力たる由縁。

内容
「共栄全圏に仁丹は御奉公 
創製四十年 満支大陸は勿論南方諸域に無上の護身薬として普く愛用される 今現地の厚生と宣撫に御奉公の仁丹!
戦地へ 慰問に 銃後の保健に」
掲載:昭和18年10月 

前線の慰問と工場戦士を対象にしたコピーになっているが、イラストは日の丸と輸送船である。慰問は輸送船で表しているのだろうが、日の丸とはいったい?

内容
「前線に工場に仁丹
決戦下 慰問品第一品として前線保健に重宝される 仁丹
銃後の増産陣に疲労防除と頭脳明澄にいよいよ真価を発揮する 仁丹」
掲載:昭和18年10月 

時計の文字盤のイラストは、生気かぎりなしの文言から考えて、24時間戦うことを意味しているのではないだろうか。しかし、6時を指しているのは何か意味があるのか?

内容
「生気 限りなし 
明るく逞しい気力で戦うのがこの際 必勝の途
仁丹のんで心身の疲労を清散し 内から湧立つ活動力を喚起しよう!
職場に 家庭に 仁丹」
掲載:昭和18年10月 

決戦に即応できるように仁丹で体力をつくろうというわけである。今では仁丹で体力が付くとは思われないが、当時は通用した時代であったのだ。イラストは戦闘に向う戦闘機の編隊であるが、決戦兵器として航空機が認識されていたことがわかる。

内容
「決戦即応
一億出陣の今日 平素から仁丹で消化吸収作用を良くして栄養率を昂め敢闘持久の体力をつくろう
胃腸に 腹痛に 頭痛に 疲労に 仁丹」
掲載:昭和18年11月 

11月8日、恒例の大詔奉戴日の仁丹広告。新米の季節を上手に利用した広告になっている。

内容
「大詔奉戴日
瑞穂の国の新穀に感謝を捧げ 貴きその一粒を徒にせず 断じて宿敵伏滅の糧とせん
戦う体力は 冗なき消化吸収による戦時食の栄養化を遂げる仁丹から 仁丹」
掲載:昭和18年11月 

イラストはシャベルをもって土方作業を行う兵士であろうか。肉体作業には仁丹が欠かせないことをアピールしている。効能に新しく「食あたり」が加わった。毒消しはあったが、季節は冬、なぜこの時期に。

内容
「抵抗力は胃腸から
風邪引きや疲労倦怠を寄せつけぬ体力は常に仁丹で鍛えた胃腸力が基です 消化を良くし 栄養充たす 食後の仁丹
食中りに 胸やけに 胃腸に 下痢に 腹痛に 仁丹」
掲載:昭和18年11月 

昭和18年10月、大学生を中心とした高等教育機関に在学中の文科系学生が徴兵されることになった、いわゆる学徒出陣である。昭和18年10月21日、明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会の映像はお馴染みである。早速、取り上げて広告に利用しているのだ。

内容
「今ぞ 御楯といで立つ学徒
沸ぎる熱魂 護国の至情 鋼の体力 必勝の志気 征け!学徒 武運無窮に
救急と保健に 戦地の慰問に 要薬仁丹」
掲載:昭和18年12月 

昭和19年元旦、仁丹も今年の抱負を掲げた。神州とは神国日本の美名であり、天皇のおわす日本が負けるわけはないという気概が漲っている。イラストは黒くつぶれて、良くわからないが、黎明血潮の色の文言から、朝日を浴びる富士山ではないだろうか。

内容
「神州必勝の歳
見よ黎明血潮の色 征け一億みな神兵 断じて敵を叩付け 勝利の盃を 忠霊に献げんぞ 今年
健民強兵 鋼の体力と必勝の気力を養う 保健要薬 仁丹」
掲載:昭和19年1月 

久方ぶりに、戦時を表す言葉を使っていない広告である。しかし、ランニングをしている人物のイラストがゲートルを着用しているようだ。

内容
「耐寒
強い胃腸から 寒さに負けぬ 気力が湧出る 〇消化と吸収を〇進め体力を充す 仁丹を常用!
職場に 家庭に 錬成に 仁丹」
掲載:昭和19年1月 

勿論、食糧不足と労働過多で国民はみんな疲れている。国民皆過労状態といっていいだろう。仁丹の広告は言い得て妙である。

内容
「戦時の過労に
時々含む 仁丹数粒は 清新の活力を与え 頭脳を明快に保ち 頑張る体力を培う
能率倍加の国民的常持薬 仁丹」
掲載:昭和19年2月 

紀元節とは、勿論、神武天皇の即位日を定めた休日。2月11日であり、現在の建国記念日である。この新聞広告も2月11日掲載である。仁丹の広告らしく今戦争の大義を改めて述べたもので、イラストは破魔矢である。

内容
「本□紀元節  神軍一億の猛攻を
肇国の大義 正に凛厳 何ぞ鬼畜の暴虐を恕さん 断々乎として苦難を排し 誓って撃滅の此年とせん
総合保健要薬 消化と毒消し 仁丹 森下仁丹株式会社」
掲載:昭和19年2月 

3月は1回のみの広告であるが、大きく出た内容。大東亜全体で使われる「大東厚生薬」と称している。

内容
「この信頼! 優れた薬質 広い薬効! 東亜全域に愛用され 今や現地の宣撫御用に 保健と医療的活用に限無き御奉公の 護身要薬・仁丹
胃腸に 疲労に 頭痛に 大東亜厚生薬」
掲載:昭和19年3月 

兵器として仁丹を使えることを猛烈にアピールしている。かなり大胆な内容である。イラストはチャーチルとルーズベルトを締め上げているのであろう。

内容
「仁丹の戦力化
陸海空全軍の戦陣保健に御愛用 銃後の生産陣や防護活動にも一ト役 更に占領地の宣撫に 現地経済工作に 汎く共栄全圏で活躍する 仁丹」
掲載:昭和19年4月 

産業戦士に対する気合の入った名文である。

内容
「命倍に働き抜かん
撃敵の闘魂を仕事に叩き込んで決死の増産に先づ凱歌を上げよう
頭痛・倦怠・疲労をふせぎ、清新な光輝と持久力をつける 職場必携薬 仁丹」
掲載:昭和19年4月 

精密なイラストと黒字に白抜きのタイトルが非常にすっきした印象を与えている。数ある仁丹広告の中でも優秀なデザインだと思う。

内容
「疲労消耗を防ぐ
敢闘 廿四時間この元気こそ! 時々仁丹含んで 頭脳を明快にし 情気倦怠を払い 疲労消耗を防ぐからです!
仁丹」
掲載:昭和19年5月 

仁丹の効能を、長文ながら時節に合わせてうまくまとめている。

内容
「殺菌と整腸
これから暑くなると共に、胃腸が弱り腹こわしが多く病原もふえて病気に罹り易くなる。仁丹を欠かさず呑んで居れば、この危険を防ぎいつも胃腸の調子を整えて、このごろの戦時食もおいしく食べられ、めきめき健康を進めます。又仁丹は、身体や頭の疲れを消し、常に晴々した気分を充たし生活を明るく職場をたのしく必勝の日日をもたらす薬です
仁丹」
掲載:昭和19年6月 

仁丹は律儀に毎月毎月広告を打ってくる。さすがである。火線とは、直接に敵と砲火を交える戦闘の最前線のことである。つまり、増産の最前線に仁丹を飲んで備えよという意味。

内容
「増産・火線に備ふ
今だ!職場の総突撃  灼熱の前線を偲び 持場々々に闘おう 疲労や倦怠を吹っ飛ばす 時々の―仁丹 清新な気力湧き 持久体力を培う
仁丹」
掲載:昭和19年7月 

このページのトップへ