実業之日本の広告

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「実業之日本」は、大日本実業学会(現在の実業之日本社:明治30年6月10日創立)によって明治30年6月10日に創刊されたビジネス雑誌である。 当初は月刊であったが、明治32年から月2回の発行となる。平成14年以降休刊となっている。 他紙のような国威発揚、戦意昂揚的な論調は見当たらず、ビジネス雑誌らしい冷静な切り口の記事が並ぶ。
同社の小史によると昭和10年代には『少女の友』と昭和12年創刊の『新女苑』が若い女性に人気を博していたようである。

実業之日本 三月一日号の広告
英国の東洋経営の拠点シンガポールを陥したことで、英国に代わりに南方を経営するという視点が中心になってきたようだ。
内容
「南方の現実を語る マレー飯塚繊維社長 ヒリッピンダバオ日日副社長 ビルマ 山田貿易社長 南方進出の心構え商工次官 〜 日本地政学と太平洋戦 財界夜話 陸海軍の南方経営ブレーン 弱点を暴露したアメリカの政治と国民性 シンガポール陥落と株式投資 造船株と造機株 衣料切符制と生活更新 私の衣料切符活用法〜」
掲載:昭和17年2月 

実業之日本 三月十五日号の広告
ビジネス面からみると戦争の行方は最大の関心事であろう。開戦後3か月であるが早速特集が組まれている。
内容
「大東亜戦・今後はどうなる 出席者 法学博士 陸軍少佐 海軍中佐 東京日日総務部長 国際汽船取締役 〜 初期経済学者の南方計略論 経済変化の方向=民間経済の二分野 南方華僑の経済力 米・英・蘭東亜侵略史物語 上智大学教授 長期戦と国民生活の簡易化〜
定価四十銭(送一銭五厘) 東京銀座実業之日本社」
掲載:昭和17年3月 

実業之日本 四月一日号の広告
経済面からの南方進出に向けた記事が多いなか、身近な生活記事も盛り込まれているのが面白い。
内容
「〜 軍票の話 サラリーマンと戦時生活 身のまわり品長持ち法 女子経済専門学校教授〜転業対策の積極的意義」
掲載:昭和17年3月 

実業之日本 四月十五日号の広告
経済誌らしく、株式のことや中小商工業の再編成など経済記事がならぶ。
内容
「〜 能率・生活・生産 増産現地報告◇少肥・多穫◇機械化を中心に 北米大陸封鎖 わが南進論 対日三進攻略と米英濠連合戦線 大陸株と南方株 建設戦と株式 グラビア 刀魂を鍛える(大倉鍛錬所をみる)〜」
掲載:昭和17年4月 

実業之日本 十二月一日特大号の広告
大東亜戦争一周年記念。開戦1年であるが、さすが長期戦を想定した記事が多い。
内容
「百年戦争と国民の覚悟 敵を軽視するの危険 米英撃破への道 国家総力戦と国民所得 特集 長期戦と総合戦力  ▽大東亜戦略一ヶ年 ▽生産戦時代 ▽長期戦政治と思想戦 ▽戦争生活と生活戦争 ▽ 国家総力の科学的結集 特集 米・英・濠・重慶の現状を探る〜」
掲載:昭和17年11月 

実業之日本 三月一日号の広告
空襲の特集が組まれている。米英開戦時には既にロンドンやベルリンでは空襲が行われており、近いうちに日本にも本格的な空襲が行われるという危機感が生れてきたようである。また、あらゆる物資が不足する時世、「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」という標語は知られているが、「間に合わす」という言葉も良く使わたようである。
内容
「空爆下の生活 ロンドン爆撃の教訓 高松棟一郎  ベルリン 空襲と生活を乗り切る 山岸重孝  決戦生活 間に合わす工夫 陸軍主計大佐川島四郎 〜」
掲載:昭和18年2月 

実業之日本 四月一日号の広告
固い内容でも、並べてみると毎月レイアウトやデザインを変えてきているのが面白い。
内容
「本当の生き方(太陽、食物、体錬)・理学博士杉田直樹 断食の科学・理学博士式場隆三郎 武士と実生活・佐伯□□ 興亜先覚者列伝 大井憲太郎と東亜経綸策・須山幸雄〜 〜」
掲載:昭和18年3月 

実業之日本 六月一日号の広告
経済誌といえども当局におもねなければ生きてけない時代。冷静なタイトルからはわからないが、米英を卑下し、自画自賛、国の政策を応援する内容になっているではないだろうか。
内容
「時局と修養 ▽耐乏と生活 ▽海人魂 ▽商人魂〜 」
掲載:昭和18年5月 

実業之日本 七月十五日号の広告
記事のタイトルを眺めるだけで、国を挙げての総力戦の様相が伺える。
内容
「鼎談 日本産業の総戦力化 企業整備はどう実行されるか〜 戦力増強と技術的創意〜 決戦下の交通輸送対策 勤労報国と国民運動〜」
掲載:昭和18年7月 

実業之日本 八月十五日号の広告
「決戦下の大学及び大学生」という記事が見えるが、この2か月後、昭和18年10月、文系大学生の徴兵猶予が打ち切られ、あの有名な出陣学徒壮行会が神宮外苑で開催された。
内容
「士魂昂揚と決戦生活 戦時生活と禅的覚悟 産業界の邁進体制 増産と就業制限の撤廃 節約と戦力〜」
掲載:昭和18年8月 

実業之日本 九月十五日号の広告
ケベック会談の記事がある。これは欧州の戦局の変化を踏まえたイギリス(チャーチル)とアメリカ(ルーズベルト)による会談で、ドイツ降伏後に1年以内に日本を降伏させることが話し合われた。
内容
「働く人の足の問題座談会 生産力の増強の為に欠くべからざる戦時輸送力の確保には、交通関係者の並々ならぬ苦心が潜んでいる。関係者の語る足の問題。東鉄・営団 都電・東急 東武 〜」
掲載:昭和18年9月 

実業之日本 十月一日号の広告
大衆誌と違って見出しを見ているだけで、冷静な現実が浮かび上がってくる。
内容
「大量生産と品質 不徹底なる改革 謀略と神経戦 錬成と増産 軍人援護の精神 決戦下・産業人の動き 〜」
掲載:昭和18年9月 

実業之日本 十二月一日号の広告
社長自ら叱咤激励か。記事を見ていないので推測のかぎりだが、経済面から戦争遂行を後押しする内容なのであろう。
内容
「燃え上がる青年の敢闘精神 本社社長 増田義一  配給の隘路はどこにあるか  統制会社令の目標 豊田雅孝  座談会 戦時生活の総意と工夫  大東亜建設の新段階 蝋山政道  空襲経済論 気賀健三 〜」
掲載:昭和18年11月 

実業之日本 二月十五日号の広告
3か月振りの広告。戦意昂揚とは程遠い固い内容である。しかし、勝利に向けた冷静な分析には好感がもてる。特に鍵は航空機増産ということは周知の事実であったのだろう。
内容
「決戦企業体制の躍進  営団と統制会の新方向 軍需会社をめぐる諸問題 大企業と中小企業 航空機増産の基礎条件 戦時増産と国民生活 アメリカの軍需生産 時の人 安藤利吉大将 決戦下の証券市場 決戦食糧の確保 決戦食生活の設計 大東亜結合の根底 政略と戦略 大捷を決するもの〜」
掲載:昭和19年2月 

実業之日本 四月一日号の広告
時の人として、東急(当時は大東急)創始者である五島慶太が取り上げられているのが興味深い。
内容
「【巻頭言】戦時金融機関の使命 勝ち抜く経済・生活 必勝生活に最大必要なる覚悟 鼎談国民動員体制の強化 生産増強と工場安全 工的錬成の役割 時の人、五島慶太氏 農工調整と農村問題 現場主義と科学技術者 決戦下国民皆働組織 増産に漲る闘魂二十四時間作業報告書 決戦体制下の証券取引所 
四月一日号(売三十五銭)」
掲載:昭和19年3月 

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