国策広告(昭和18年7月〜)

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神奈川新聞においては、国策をテーマにした企画連合広告は太平洋戦争に入って初である。所謂、名刺広告と同じようなものだが、予め イラストを定めたひな形を用意して、広告主を募ったのであろう。標語が広告主に相応しい内容になっているのがとても興味深い。

広告主を見ると鶴見地域所在の会社や学校である。横浜市立鶴見工業学校とは、昭和11年横浜市立鶴見工業実習学校として創立、昭和15年に同名に改称、昭和23年横浜市立鶴見工業高等学校となり現在に至る。

内容
「家も職場も科学の校舎 協和化学工業株式会社鶴見工場   報国の誠で築け商業陣 神奈川県自動車小売商業組合   一億が国の手となれ足となれ 横浜市立鶴見工業学校   水禍も国難愛護で防げ 鶴見川水害予防組合   決戦だ!持場持場で御奉公 東洋真空工業株式会社   節約は気持ち一つでまだ出来る 鶴見瓦斯株式会社   戦線も銃後も汗の共苦労 鶴見工科青年学校」
掲載:昭和18年7月
軍港都市横須賀版である。さいか屋の戦闘機のイラストは、駿河銀行の18年6月の広告と同じもので使い廻しである。流行なのか「進軍」という言葉が多用されている。

内容
「二百七十億貯蓄総進軍 横須賀市銀行組合一同   決戦だ!米英撃滅総進軍 横須賀市会議員一同   糧食確保大進軍 横須賀海軍糧食商組合   貯蓄目標達成 神奈川県洋紙商業組合員 神奈川県和紙商業組合員 株式会社村松商店 日本印刷文化協会々員 横須賀市官納商業組合員 村松印刷株式会社 横須賀市大瀧町   米英撃滅決戦生活確立 実用雑貨配給店 株式会社さいか屋 横須賀市東郷通り 電話〜   米英必滅 輸送に邁進 相模運輸株式会社 横須賀市若松町九二 電話〜   生産増強・商業報国 横須賀商工会議所」
掲載:昭和18年7月

工業川崎版である。川崎大師も広告を出しているが、標語はやはりである。池貝自動車製造とは、昭和12年に設立された会社でディゼール自動車を製造していた。また、日蓄工業とはレコード会社の日本コロムビアであるが、敵性語排斥のため昭和17年に改称していたのである。

内容
「アッツ島の忠魂にこたへよ! 池貝自動車製造株式会社  米英撃滅に先づ増産 川崎市東京製線産業報国会   征け米英にとどめ刺すまで 川崎市東京機器工業株式会社   この一戦何が何でもやりぬくぞ 川崎市昭和電線電纜株式会社   アッツ島の復讐を忘るゝな! 日蓄工業株式会社川崎市   仰げ忠魂讃えよ偉勲 川崎大師平間寺    増産に米英を撃つ玉の汗 日本電線川崎工場産業報国会」
掲載:昭和18年7月

二回目の軍港都市横須賀版であるが、コマ割りが細かくなって出稿数を増やしている。横須賀魚市場の標語は「護れ海国制海権確立」であり、さすが軍港都市である。

内容
「一路!必勝態勢 横須賀商工会議所会頭松田徳太郎  何が何でも勝ち抜く決意 横須賀商工会議所議員一同   決戦生活生産増強 横須賀酸素株式会社 横須賀市公郷町一四一 電話〜   産業増強米英必滅 関東瓦斯株式会社横須賀出張所 横須賀市若松町七〇番地   食糧増産に大進軍 株式会社横須賀食品市場 横須賀市若松町海岸 電話〜   護れ海国制海権確立 株式会社横須賀魚市場 横須賀市小川町十三 電話〜   体育強錬保育に進軍 市立横須賀病院 洲崎敬三   貯蓄増強一億総進軍 横須賀信用組合 横須賀市大瀧町九 電話〜   米英撃滅、体力増強 横須賀牛乳販売有限会社 横須賀市若松町八四 電話〜   決戦生活、生産増強 横須賀繊維製品小売商業組合 理事長 岡本伝之助 横須賀市小川町二八 電話〜 」
掲載:昭和18年7月

三回目の軍港都市横須賀版である。海軍のまちらしく海軍御用商が複数出稿している。

内容
「戦力増強、一億総進軍 土木建築請負業 合資会社花崎組 横須賀市公郷町二、二二九 電話〜   打て米英戦時生活実践 横須賀証券合資会社 横須賀市大瀧町九番地 電話〜   国民皆労経済戦力増強 横森商事有限会社 横須賀市若松町二一   貯蓄に邁進 必勝へ大進軍 小久保納品部 保険部 営業部 横須賀市小川町四 電話〜   米英必滅、護れ海洋 海軍御用和田邦一商店 横須賀市諏訪町四 電話〜   謝皇軍敢闘 戦力増強 合名会社日ノ出商会 代表社員木原新一 横須賀市旭町十五   宿敵必滅 護れ大空 海軍御用商 三吉商店 横須賀市大瀧町四十六 電話〜   生産培養・糧食確保 浅昼g之助 横須賀市旭町十五   増産増強、健民錬成 海軍御用精米業 美川鹿治郎 横須賀市汐留町三一電話〜   戦時生活 経済戦力培養 山田さいか屋 店主山田清六 横須賀市深田町米ケ浜電話〜」
掲載:昭和18年7月

産業報国会版。産業報国会とは、事業所ごとにつくられたが労働組合とは異なり、労使が一体となって戦争に協力、つまり増産を追求していくための組織。広告主は横浜の軍需工場の産業報国会である。

内容
「決戦へ 征け鉄壁増産陣 日本ハマライト株式会社産業報国会   戦場でも米英相手の生産戦 佐倉鋼鉄工業株式会社産業報国会   決戦だ!持場持場で御奉公 株式会社日立製作所戸塚工場産業報国会   生産も米英に負けてなるものか 日本光学工業株式会社産業報国会   忠魂に応えて先づ増産だ 白旗内燃機製作所産業報国会   あがる戦果に感謝の皆労 日本発條株式会社産業報国会   増産は俺らの腕から職場から 神奈川□□株式会社産業報国会」
掲載:昭和18年7月

四回目の軍港都市横須賀版。回を重ねたせいか、個人名での広告もある。標語は過去からピックアップして組み合わせ直したようなものが多い。

内容
「決戦だ 宿敵必滅総進軍 株式会社興電舎 横須賀市山王町六 電話〜   体力培養、仰げ忠魂 湘南飲料株式会社 横須賀市大瀧町三六 電話〜   決戦だ戦時生活確立 山田稔 横須賀市深田町一八 電話〜   決戦だ・貯蓄だ 一億総進軍 栗山量平 横須賀市公郷町二四九五   米英必滅、大進軍 小林睦会本部 小林天龍 横須賀市大瀧町四五番地   食糧確保 銃後総進軍 横須賀麺業組合 横須賀市安浦町一ノ一 電話〜    自給自足 決戦生活確立 隣保会館食堂 石黒寿作 横須賀市小川町一 電話〜   米英撃滅・職域奉公 壽徳庵 柴山□一郎 横須賀市不入斗橋際 電話〜   生産増強商業報国 港月 横須賀市旭町一六 電話〜   忘るな・アッツの忠魂 尾張屋 山田□一 横須賀市汐入町三 電話〜」
掲載:昭和18年7月

貯蓄目標をテーマにした企画連合広告広告。面白いのは二百七十億の「七」を修正しているところ。理由はお考え下さい。対象は平塚・藤沢の事業者などである。平塚高等家政女学校は、大正14年創立の家政塾が前身で、改称を繰り返したが現在の鵠沼高等学校である。

内容
「二百七十億貯蓄総進軍!  関東配電工事代理店 合資会社東光商会 平塚市平塚新宿〜   相模瓦斯株式会社 平塚市平塚新宿一五〇番地電話〜   文部大臣認可平塚高等家政女学校 平塚市馬入 電話〜   平塚商工会 平塚市農会   小倉化学工業所 小倉久武 藤沢市川名六五番地   日本精工株式会社藤沢工場   神奈川県醤油統制株式会社」
掲載:昭和18年7月

五回目の軍港都市横須賀版。出稿者も会社、団体、個人、飲食店と同じような割合になっている。因みに、昭電社は現在も続いている会社である。

内容
「決戦だ 戦時生活確立 株式会社昭電社 横須賀市春日町一九 電話〜   米英撃滅、決戦映画報国 財団法人大日本興行協会神奈川県支部横須賀分会   生産増強、築け大東亜 横須賀、三浦洋服商協和会 事務 横須賀市大瀧町九 電話〜   戦は之からだ 戦時生活実践 丸中家具店 横須賀市諏訪町三一 電話〜   決戦だ、戦時生活実践 土方栄吉 横須賀市若松町七九 電話〜   健民錬成 必勝へ総進軍 松島厚吉 横須賀旭町五〇 電話〜   体力培養、守れ大空 野口渉 横須賀市若松町 電話〜   宿敵打倒 職域奉公 だるま食堂 高橋與四太郎 横須賀市大瀧町一〇 電話〜 米英を撃て 戦は之からだ うら舟 長谷川忠一 横須賀市若松町 電話〜  皇軍に感謝・守れ大空 安浦さらしな 電話〜」
掲載:昭和18年8月

六回目の軍港都市横須賀版。特に、所在が春日町(現、三春町)の会社が目立つ。今回は、業務内容が標語に反映しているところが多く、「増油確保大進軍」と訴えている吉澤油化工業は現在の吉澤石油、大正12年創業の横須賀老舗企業である。また、3つの学校が参加しているが、三浦中学は現三浦学苑高校。横須賀商業学校は、昭和19年に横須賀市に移管され市立商業学校となり、のちの横須賀総合高校の前身の一つである。横須賀高等工学校は、昭和2年創立の電気技術を教授する学校であったが、終戦とともに廃校になった。

内容
「謝皇軍敢闘 吉村砂利興行株式会社 横須賀市若松町一番 電話〜    決戦だ!米英必滅 輸送に邁進 横須賀運送株式会社 横須賀市日之出町一ノ一二 電話〜   建艦増強 必勝へ総進軍 大M鉄工所 大M乙吉 横須賀市春日町一ノ二〇 電話〜   決戦だ 米英撃滅総進軍 佐々木鉄工所 佐々木秀吉 横須賀春日町一ノ二七 電話〜   米英必滅・戦力増強大進軍 山口製作所 山口實 横須賀市春日町三ノ四〇 電話〜   増油確保大進軍 神奈川県石油配給株式会社横須賀第一配給所 吉澤久藏 横須賀市若松町七二 電話〜 吉澤油化工業有限会社 電話〜   体育強錬 大東亜建設 佐野件治 横須賀市公郷町二一四六番地   謝皇軍敢闘 生活文化の昂揚 財団法人三浦中学校 高橋恭一 横須賀市金谷町一八一 電話〜   決戦だ 国民皆労必勝へ邁進 横須賀商業学校 大塚孝子 横須賀市公郷町五一六 電話〜   征け・陸に海に大空へ 横須賀高等工学校 石川小太郎 横須賀市春日町二ノ二 電話〜」
掲載:昭和18年8月

横浜護謨製造株式会社とは、大正6年創業のゴム製造会社で現在のヨコハマゴム鰍ナある。鶴見に工場があり太平洋戦争中にはゼロ戦のタイヤを製造していた。鶴見工場は空襲で被災し、戦後は平塚に生産拠点を移した。日産農林工業株式会社は、昭和9年創業の木材会社で現兼松サステック。マッチ製造で知られる。

内容
「増産へあげよ職場の意気々熱 横浜護謨製造株式会社   決戦だ熱だ力だこの腕だ 日産農林工業株式会社 林業部鶴見工場   増産が蔭で後押す大戦果 日本曹達株式会社 横浜ニッケル工場   決戦へ 征け鉄壁の増産陣 株式会社十全商会横浜工場」
掲載:昭和18年8月

プレス工業とは、大正14年創業、昭和12年川崎に本社を移転した今に続く自動車部品製造会社である。実業駅伝で知られるあのプレス工業である。川崎窯業は日本鋼管(現JFEエンジニアリング)に合併、徳永硝子は日本板硝子に合併、日清製粉と三菱化工機は現在にそのまま続いている。何れも京浜工業地帯所在の製造工場であった。

内容
「御稜威の基に吾等あり吾等断じて捷たん プレス工業株式会社   決戦だ 空の護りだ増産だ   アッツ島の復讐を忘るゝな! 川崎窯業株式会社   汗が矢弾だ 体が武器だ 徳永硝子株式会社川崎工場   征け米英にとどめ刺すまで 日清製粉株式会社鶴見工場   働こう英霊の分兵の分 日本油脂株式会社川崎大豆工場   一億がみんな興亜へ散る覚悟 三菱化工機株式会社川崎製作所」
掲載:昭和18年8月

第七回の横須賀版である。今回は、軍港横須賀ならではの出稿団体が並ぶ。異色なのは須賀眼鏡店。眼鏡店だけあって標語に「視力培養」の言葉。確かに防空監視には必要であった。

内容
「決戦だ!銃後は貯蓄だ!二百七十億円総進軍 神奈川県特定郵便局横須賀部会   銃後も決戦だ 食料増産、戦時生活確立 横須賀食料品小売商業組合 横須賀市大瀧町三□ 電話〜   戦時だ!勤労奉仕だ 決戦生活総出陣 横須賀新門本部 四代目 登坂亮一 横須賀市若松町五〇(電気館裏)   貯蓄に 防空に 視力培養・生産増強 眼鏡専門横須賀眼鏡店 座間智博 横須賀市深田三十四(平坂上)   米英必滅 戦時生活確立 横廠報国団長浦支部会館   建艦増強・体力培養 守れ大空 横須賀海軍工廠指定食堂組合   謝皇軍敢闘 国民皆労総進軍 軍港飲食業組合カフェー部   戦はこれからだ 銃後も決戦総進軍 軍港飲食業組合喫茶部   決戦だ!!米英撃滅 勝ち抜く決意 軍港飲食業組合食堂部   皇軍に感謝 銃後国民総進軍 釜鳴屋 富沢栄松 横須賀市船越一一九 電話〜」
掲載:昭和18年8月



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