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戦時下ならではの求人広告をご紹介。

丸善石油株式会社の広告
戦える男子はことごとく戦場へ送られ、女性の力を借りるほかない状況になっていく。 そんな社会状況が表れた広告である。 丸善石油とは、明治40年創業の 丸善礦油部を前身とし昭和8年に設立された。現在のコスモ石油は、昭和61年、大協石油、丸善石油、旧:コスモ石油の3社が合併したもの。
丸善ガソリンと言えば、CMで使われた「オー・モーレツ」の言葉が大流行したことを覚えている。
大黒町は神奈川県が昭和11年に埋め立てた土地で、多くの工場が進出したが空襲で大きな被害を受けた。


内容
「女子も進出だ  寄宿舎完備
丸善石油株式会社横浜製油所 横浜市鶴見区大黒町二六番地
転業にも向く  福利施設完備」
掲載:昭和18年10月 
日立製作所の広告
戸塚工場は昭和12年に設立され、当初は電話機,電話交換機など有線通信機器を製造していたが、その後無線通信機械を製造するようになり、大戦中は軍用無線機を製造し、学徒動員も受け入れていた。この歴史ある工場も平成28年に閉鎖され、現在は中外製薬の研究所になっている。


内容
「働く戦士へ  寄宿舎完備
日立製作所戸塚工場 横浜市戸塚区戸塚町二一六番地
明るい慰安  福利施設完備」
掲載:昭和18年10月 
神奈川県国民職業指導所の広告
島国日本は海運が命の綱であり、戦時は多くの民間船が徴用され軍事物資や兵員の輸送、哨戒に当ったが、軍に徴用された民間船員の死亡率は軍を上回り、約6万人の方が犠牲になったそうである。 そのため、船員の養成にも力が入れられていたことがこの広告からもわかる。
国民指導所とは今の職安の前身であり、国家総動員体制のなかで昭和13年に国営化された職業紹介所である。昭和16年に国民職業指導所、昭和19年に国民勤労動員署と名称変更した。


内容
「敵は船員をドシドシ作ってる 十月二十七日夜 大本営海軍報道部富永中佐は其放送に「あらゆる戦力の前提要件は海運力つまり船と船員の増強にある」と叫んだ 今その船員が足らぬ、後日ではない今だ!
国家は船員に論功行賞を行う、〜
神奈川県国民職業指導所」
掲載:昭和18年11月 
日本造船株式会社の広告
最後の「戦闘配置に付け 急げ!」とは求人である。


内容
「血と涙と汗 
血を以って闘った勇士の勲に! 涙を以ってきいた感激の戦果に! 汗を以って応えよ銃後の我等は! 一億 戦闘配置に付け 急げ!
日本造船株式会社」
掲載:昭和18年11月 
日本造船株式会社の広告
前線の切迫感と求人の切実感がひしひしと伝わってくる泣ける広告である。


内容
「一億戦闘配置につけ 急げ
男も女も今こそ舟艇を造るべく起て! 明日の十隻より今日の一隻が勝敗を握る鍵なのだ その一隻を前線の勇士は待ちに待っている 徴用を待たずに決然と造船所に来れ
神奈川県職業科 横浜国民職業指導所 日本造船株式会社」
掲載:昭和18年11月 


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