債券の広告

広 告
戻る

政府は、日中戦争から大東亜戦争の期間、膨大な戦費を賄うため、増税の他に貯蓄を奨励し、各種債券(戦時債券)を発行した。
以下の4種類の債券については、そのものは無利子であったが、購入意欲をあおるため、宝くじのように番号による抽選で割増金がもらえるような仕組みであった。 発行は、日本勧業銀行や逓信省であり、発売場所は主な銀行、証券会社、郵便局であるが、百貨店、煙草屋などでも購入できた。 これら債券は、徐々に地域(町内会までも)や職場に割り当てられ、半強制的に徴収されるようになっていった。また、子供でも購入できるような少額の債券(豆債券、弾丸切手)も発行され、根こそぎ資金をかき集めるという状況になっていった。しかし、いずれの債券も戦後は紙屑同然となった。
売り出し広告には、兵器のイラストなどが使われ戦意高揚の役割も果たしていた。

・貯蓄債券
日中戦争の戦費調達を目的に昭和12年12月から発行されたもので、日本勧業銀行の収入が2億円になるまで発行可能、額面20円以下で、償還の際には、毎年2回の抽籤で販売価格の150倍以内の割増金が付与されるもの。しかし、割増金は国債で交付することもできるようになっており、根こそぎ民間資金を吸収しようという計画であった。
・報国債券
政府は、更なる資金調達を目指して、法改正を行い、昭和15年5月から発行された債券。 5億円まで発行可能で、額面は10円以下、割増金は1000倍まで増額された。しかし、抽選は年1回となった。
・豆債券(戦時特別報国債券)
昭和16年7月から売り出された額面1円の債券で、償還期限2年、割増金は一等から四等まであり、抽籤は償還まで二回行われる。 一等500円、二等100円、三等5円、四等1円、当選確率は三十枚で一枚という高率であった。
・弾丸切手(戦時郵便貯金切手)
逓信省が昭和17年6月8日から全国の郵便局で発売をはじめた抽選くじ付き郵便貯金債券であり、切手としては使えなかった。 額面2円で、割増金は1等1000円、2等100円、3等5円、4等2円の4種類、当選確率は当初11枚につき1枚と高倍率であった。 よく当たること、早い当選金の支払い、切手が弾丸に変わることから「弾丸切手」と呼ばれた。

貯蓄債券の広告
貯蓄債券の第1回売出の広告。日本勧業銀行は、農工業改良のための長期融資を行う銀行で、明治30年に設立された。唯一割増金付き債券の販売が認められていた。銃後の護りを前面に打出している。

内容
「貯蓄債券売出  銃後ノ護り此ノ債券
△買う時は十円 還える時は十五円 △償還は遅い方でも二十年
△税金は一切かゝらない △初回抽籤は明年二月
△初回割増金 一等 千五百 五十本 二等 百円 二百本 三等 二十五円 八百五十本  二回以降も多数
△売捌場所 当行本支店 出張所 日本勧業證券株式会社本支店 全国の郵便局・主なる銀行・其他 売出期間 十二月十六日より 二十二日まで
一等割増金千五百円 日本勧業銀行」
掲載:昭和12年12月 
支那事変貯蓄債券の広告
支那事変の戦費調達のために募集した割増金付きの貯蓄債券である。日本勧業銀行によって発行され、日露戦争の際にも発行されている。

内容
「支那事変貯蓄債券
一枚五円 一等割増金五百円
売出十月五日ヨリ二十日マデ
大蔵省 日本勧業銀行」
掲載:昭和13年4月 
貯蓄債券の広告
貯蓄報国という言葉で勧誘しているが、当時、様々な言葉に「報国」を付けた造語を使って、すべては御国のためという挙国一致体制をつくっていった。今後あらゆるものが報国につながっていくことになる。

内容
「第三回 第四回 貯蓄債券 銃後の護り貯蓄報国  一等割増金千五百円
この債券は政府の命により売出したもので売上金は全部大蔵省に納められ国家の必要な方面に運用されます
売出期間 六月十日より二十五日まで
△買う時は十円 還る時は十五円△償還は遅い方でも二十年△税金は一切かからない△初回抽籤は本年九月△割増金 〜表〜
売出場所 当行本支店・出張所 日本勧業證券株式会社本支店 □国の郵便局・主なる銀行・其他
本債券御購入特約預金の御利用を願います
大蔵省 日本勧業銀行」
掲載:昭和13年5月 
貯蓄債券の広告
支那事変遂行のための資金を集める目的の債券である。イラストには、富士山と錦の御旗を用いることで、支那事変を戦う皇軍の正当性を表しているのであろう。

内容
「支那事変貯蓄債券
貯蓄報国
一枚五円  一等割増金五百円 売出二月六日ヨリ二十日マデ
大蔵省・日本勧業銀行」
掲載:昭和14年1月 
支那事変国債の広告
事変の軍費調達のための債券である。ボーナス時期を狙って売り出された。イラストは重慶爆撃で名を馳せた96式陸攻であろうか。

内容
「支那事変国債
 郵便局売出し 十二月十一日ヨリ二十二日マデ
この国債を現金に換えたい時は何時でも郵便局や日本勧業、日興、川島屋、野村、山一、藤本、小池共同の各証券会社で買取って貰えます 〜 大蔵省」
掲載:昭和14年12月 
貯蓄債券・報国債券の広告
貯蓄債券と合わせ、昭和15年5月から新たに販売が開始された報国債券とセットの広告。 イラストは海軍旗を思わせる旭光を背景に帝国海軍の艦船が勢ぞろいし、空には航空機。というように、債券で集まった資金が兵器に生まれ変わるということ(報国の由縁)を表わしているのだろう。

内容
「支那事変 貯蓄債券 報国債券
割増金附 売出 六月十五日ヨリ七月十日マデ 
大蔵省 日本勧業銀行」
掲載:昭和15年5月 
支那事変国債の広告
泥沼の支那事変。戦費は膨れ上がり、新体制下、国民に対し余分のお金は国債を買うよう求められた。

内容
「支那事変国債 郵便局売出し 本日より
お国のために是非お求め下さい 」
掲載:昭和15年12月 
貯蓄債券・報国債券の広告
戦費調達のため、貯蓄が奨励され、支那事変が長期化するに及んで、種々の割増金付債券が発行された。爆撃機のイラストが、戦費調達と戦意高揚を表現している。

内容
「割増付・支那事変 貯蓄債券 報国債券
一枚十円 五円 売出 二月二十一日ヨリ 三月十日マデ
 大蔵省・日本勧業銀行」
掲載:昭和16年2月 
支那事変国債の広告
「お国のために」という非常にシンプルな広告で、訴求力は抜群である。

内容
「二十一日より郵便局売出し
お国のために国債を買いましょう!
お早く予約お申込み下さい」
掲載:昭和16年4月 
国債の広告
4月の広告では、「お国ために」という言葉を使っていたが、2か月後、分かりやすいように、具体の表現に変わっている。

内容
「皆さん出来るだけ沢山国債を買って戦地の兵隊さんに十分働いて戴きましょう
本日より  郵便局売出し」
掲載:昭和16年6月 
事変債券の広告
日本勧業証券株式会社とは、大正11年12月に設立された証券会社で、昭和42年10月に角丸証券株式会社と合併「日本勧業角丸証券株式会社」に変更、その後変遷を経て、現在はみずほフィナンシャルグループの「みずほインベスターズ証券」である。事変債券とは戦意高揚と戦費調達が目的であり、支那事変以降、様々な債券が発売され、売らずに保管していることが奨励され、債券を担保に融資が受けられた。豆債券とは額面が少額のもので、子供にまで購入を勧められた。

内容
「事変債券 債券は売らずに活用しましょう
特別報国豆債券 ドシドシお求め下さい
債券担保貸付 簡単に御融金します
日本勧業証券株式会社 神奈川県取扱所 横浜支店 横浜市中区尾上町(馬車道電停前) 川崎出張所 川崎市砂子一丁目(川崎郵便局前)〜」
掲載:昭和16年7月 
国債の広告
いよいよ、「戦費調達のため」という目的をストレートに打ち出してきた広告

内容
「出来るだけ沢山 国債を買って  戦費の調達に協力しましょう!
八月二十二日より 九月二日まで 郵便局売出し」
掲載:昭和16年8月 
報国債券・貯蓄債券の広告
下段の特別報国債券とは豆債券のことで、購入意欲を高めるために、一枚一円を強調している。昭和16年2月の広告と比べると、アピール度が増しており、時代の切迫感が感じられる。

内容
「そろって国民貯蓄へ 一人一人が一枚でも多く買いましょう!
報国債券 貯蓄債券 五円 十円 売出シ九月十日ヨリ九月三十日マデ
特別報国債券 一枚一円 売出し八月二十一日ヨリ九月三十日マデ」
掲載:昭和16年8月 
報国債券・貯蓄債券の広告
文字を太く、コントラストを強調したシンプルながらも力強い広告で、購入せよという強い意志を感じる。

内容
「債券で力強い 銃後を示そう
十二月一日売出 割増金付
貯蓄債券 報国債券」
掲載:昭和16年11月 
支那事変国債の広告


内容
「支那事変国債   郵便局売出し   本日より二十四日まで   出来るだけ沢山買いましょう!」
掲載:昭和16年12月 
戦時国債の広告
日米開戦後初の売出であり、第一回戦時と肩書が付けられている。それにしても、大東亜戦争に感謝とはびっくりの表現である。イラストのヤシと爆撃機の機影は、緒戦の南方戦線を表現しているのであろう。

内容
「大東亜戦争感謝貯蓄
第一回戦時 貯蓄債券 報国債券
一枚・十円 五円 発売二月二十一日→三月二十日
大蔵省・日本勧業銀行」
掲載:昭和17年1月 
戦時国債の広告
「勝ち抜くため」と一歩進んだ目的をストレートに表現した標語広告。1月の広告では、3月20日まで売出となっているが、こちらは3月4日までであり、郵便局売出の国債は期間が若干短いことがわかる。

内容
「勝ち抜くためには国債を買おう!
大東亜戦争国債郵便局売出
二月二十一日→三月四日」
掲載:昭和17年2月 
戦時国債の広告
爆撃機の機体のカットイラストを用いたデザイン性の高い広告となっている。ここでも感謝貯蓄とあるが、兵隊さんに感謝するのかor貯蓄した人に対する感謝なのか?

内容
「第一回戦時 貯蓄債券 報国債券 一枚十円 五円
売出二月二十一日→三月二十日
大蔵省・日本勧業銀行 大東亜戦争 感謝貯蓄」
掲載:昭和17年2月 
戦時国債の広告
第二回の売出は、ちょうど4月の1か月間である。今回から、売り主に逓信省が加わっている。

内容
「大東亜戦争感謝貯蓄
第二回戦時 貯蓄債券 報国債券 一枚十円 五円
さあ買おう お国の為に
売出 四月一日より三十日まで
大蔵省・逓信省・日本勧業銀行」
掲載:昭和17年3月 
シンガポール陥落記念国債の広告
大東亜戦争感謝貯蓄と並行して、こんな記念国債も売り出されていた。

内容
「シンガポール陥落記念国債を お買いになりましたか
まだお買いにならない方は此の際是非買って永く此の不滅の戦果を記念しましょう
記念国債の売出は三月十六日迄です」
掲載:昭和17年3月 
弾丸切手の広告
7月から発売された弾丸切手、当初は憂慮されていたが、漸次良好となり、9月、10月になって割当額を上回るようになったという(9月時神奈川県内の消化率107%)。紙面では「弾丸のように売れる」と表現されていた。

内容
「割増金付 弾丸切手
一枚二円・一等千円・1日→15日 郵便局にて発売」
掲載:昭和17年11月 
弾丸切手の広告
無邪気なイラストだが、よく考えると恐ろしい広告である。乱暴に1円を現在の3千円とすると、6千円となるが、子供も買えるの金額なのであろうか。

内容
「米英をボク等も撃てる切手買い 弾丸切手
一枚二円・一等千円・1日→15日 郵便局にて発売」
掲載:昭和17年12月 
戦時国債の広告
4月発売の第二回から既に6回の販売である。金属回収と債券購入は徹底的に行われ、町内会割当制やボーナスの一部を債券で支給などいう強行措置が取られた。

内容
「大東亜戦争一周年記念 あの感激を国債、債券へ!
大東亜戦争国債 郵便局売出 12月7日 → 18日
第六回戦時貯蓄、報国債券 売出 12月7日 → 1月7日 (大蔵省)」
掲載:昭和17年12月 


⇒ページのトップへ