旅順口閉塞石(若宮神社)

軍事遺物

日露戦争初期、日本海軍は制海権を確保するための作戦として、旅順港にいるロシア太平洋艦隊が港外に出られないように、港口に船を沈めてロシア艦船が通れないようにする作戦を実施した。
旅順港口閉塞作戦といい明治37年2月から3回作戦は実施されたが、いずれも閉塞に失敗した。第2次作戦では、軍神となった広瀬少佐の戦死があった。
この石は、第2次旅順港口閉塞作戦で使われた閉塞船弥彦丸に積まれていた石である。浦賀船渠から寄贈されたもので、昭和10年の若宮神社社殿改築を記念して建立された記念碑の台座に使用された。なお、境内には、日露戦争の勝利を記念して奉納された28糎砲弾もある。
所在:若宮神社(横須賀市)
・台石刻字
「この台石は浦賀工場の寄贈にして日露戰役の際旅順口閉塞船弥彦丸に使用せしものなり」

このページのトップへ