軍艦香取短艇遭難者之碑(新墓)

軍事遺物
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大正元年9月8日、横須賀港口において艦に帰還する途中の軍艦香取の短艇が、闇夜のなか軍艦河内の汽艇と衝突、沈没し、27名の死者を出した。その遭難者の慰霊碑であり、大正2年9月8日に建立された。
遭難者を出身別にまとめると、宮城7名、東京4名、福島3名、三重3名、茨城2名、山梨2名、埼玉1名、千葉1名、神奈川1名、静岡1名、富山1名、愛知1名と幅広い。
碑高120cm、幅37.5cm、厚さ36.5cm、台石34+45cm
所在:聖徳寺新墓(横須賀市)
(刻字)
碑正面:
「軍艦香取短艇遭難者之碑」
碑裏面:
「噫大正元年九月八日是レ何ノ凶日ノヤ軍艦香取下士卒 短艇ニ搭シ風雨ヲ冒シテ艦ニ歸ルニ當リ闇夜咫尽ヲ辨 セス激浪滔天遂ニ横須賀港口ニ於テ軍艦河内汽艇ト衝 突シ海軍一等水兵依田藤茂以下二十七名溺没ノ竒禍ニ 罹ル惜ムヘシ國家有為ノ士ヲシテ空ク志ヲ抱テ海底ニ 終ラシム今ヤ一周年忌ノ辰ニ値ヒ我等追懐ニ忍ヒス戰 友胥諮リ茲ニ堅砥一基ヲ建テ永ク各英名ヲ勤シ以テ其 ノ霊ヲ慰ス蓋シ大霊ハ昭々トシテ影法海ニ徹シ光義天 ニ朗ナリ嗚呼之ノ香取端艇遭難ノ碑トナス  大正二年九月八日建之  軍艦香取乗員一同」
碑右面:
「 山梨縣出身海軍一等水兵 依田勝茂  三重縣出身海軍一等水兵 村木光次郎
 宮城縣出身海軍一等水兵 千葉善七  福島縣出身海軍二等水兵 水野清三
 埼玉縣出身海軍二等水兵 須藤孝  静岡縣出身海軍二等水兵 望月庄一
 東京府出身海軍三等水兵 佐藤幸吉  茨城縣出身海軍三等水兵 赤津菊衛
 東京府出身海軍三等水兵 島田喜太郎 福島縣出身海軍三等水兵 久力喜市
 宮城縣出身海軍三等水兵 木村大六  福島縣出身海軍三等水兵 目黒昌作
 茨城縣出身會分三等水兵 栗山美松  三重縣出身海軍四等水兵 西井安太郎」
碑左面:
「 宮城縣出身海軍四等水兵 沼田庄右衛門  宮城縣出身海軍四等水兵 狩野榮之助
 千葉縣出身海軍四等水兵 秋谷縫隆  東京府出身海軍四等水兵 加藤藤三郎
 山梨縣出身海軍四等水兵 古屋馨  三重縣出身海軍一等機関兵 木本藤次郎
 宮城縣出身海軍二等機関兵 渡邊春之助  東京府出身海軍三等機関兵 澤真則
 富山縣出身海軍三等機関兵 島津清作  神奈川縣出身海軍三等機関兵 秋元春吉
 宮城縣出身海軍三等機関兵 佐藤清治  愛知縣出身海軍四等機関兵 篠田末吉
 宮城縣出身海軍三等主厨 橋□三」
*殉難者のうち、神奈川県出身の秋元春吉さんの墓碑が逗子の海宝院にある。刻字は以下のとおり。
「故海軍三等機関兵秋元春吉墓」
「故秋元春吉氏ハ帝国軍艦第一艦隊香取艦ノ三等機関兵ニ勤務中大正元年九月八日上陸シ同日午後六時三十分□艦□際横須賀軍港ニ於テ同艦端艇ト軍艦河内ノ汽艇ト衝突ノ結果該端艇ハ終ニ沈没シ同艦乗組員中二十七名ノ士ト共ニ溺死ス茲ニ本人カ公務中ニ致死ノ旨ヲ有志者謹テ之ヲ誌ス嗚呼
大正元年九月八日没 法名 海現忠光信士霊位