忠魂碑(三浦市慰霊堂)

軍事遺物
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三浦市慰霊堂の参道沿いに3基並んで建てられている忠魂碑のうち左手の1基。初声村在郷軍人分会が若宮神社の境内に建立したもので、初声村における日清、日露戦争戦没者9柱の忠魂碑である。 戦後、経緯は不明であるが現在の場所に移設された。
現在は、碑本体のみが残されているが、かっては台石、台座を含めた立派な威厳ある碑であった。
碑本体は、高さ1丈5尺、幅5尺、重量4トン半の仙台石製で、建設費は当時の約1500円を要したという。揮毫は、荒木陸軍大将。
地鎮祭は、昭和9年3月25日。除幕式は、海軍記念日の昭和9年5月27日の予定であったが、工事の遅れにより6月10日午前10時から行われた。 戦没者遺族をはじめ在郷軍人分会関係者、三浦郡各町村長等300余名が参列、同村空前の賑わいであったと当時の新聞記事は伝えている。 揮毫の荒木大将は特命検閲のため欠席されたという。
当時は、初声村に御用邸建設が決まり、村民を挙げてこの光栄に喜び湧いていたという状況があった。 合祀者の内、山田福太郎さんの個人慰霊碑が天養院に建立されている。
現状碑高305p、幅150p、厚さ20p。
*再建の際、台石はなく、碑石を直接コンクリートの基礎に埋め込んでいるという雑な仕事である。戦後に引き倒されていた可能性がある。
所在:三浦市慰霊堂(三浦市)

(刻字)
正面:
「忠魂碑 陸軍大将正三位勲一等功四級 荒木貞夫 書」
裏面:
「昭和九年五月建之
 明治二十七八年同三十七八年戰役陣歿…
 騎兵一等卒 山田福(太郎)…
 海軍二等火夫 石田…
 歩兵軍曹勲七等功七級 新倉喜…
 歩兵伍長勲八等 田中…
 歩兵伍長勲八等 河田…
 歩兵一等卒勲八等功七級 井上安… 
 歩兵一等卒勲八等 田中光…
 歩兵一等卒勲八等 河田喜…
 輜重輸卒勳八等 進藤…」
  *…以下は埋没のため不明

〇合祀者の個人墓碑を調査した結果、7柱の所在が判明。墓碑から分かる詳細は以下のとおり。
1
墓碑銘故陸軍騎兵一等卒 山田福太郎君碑
戦役乙未戦争
所属部隊近衛騎兵大隊
死亡年月日明治28年9月7日
死亡場所台湾大蒲林 
死因敵弾により戦死
行年27歳
2
墓碑銘海軍二等火夫 石田冬藏之墓
死亡の状況軍艦廣丙公試運転の際、汽缶の爆発事故により負傷入院
死亡年月日明治28年7月1日
死亡場所呉鎮守府病院
死因事故死
行年23歳
3
墓碑銘故近衛歩兵軍曹勲七等功七級 新倉喜之助墓
戦役日露戦争
所属部隊近衛歩兵連隊   
死亡年月日明治38年3月6日
死亡場所唐家屯村東北高地附近 
死因敵弾により戦死
行年 
4
墓碑銘故陸軍後備歩兵伍長勲八等 田中米蔵之墓
戦役日露戦争
所属部隊後備歩兵第四十九聯隊第六中隊   
死亡年月日明治38年5月20日
死亡場所 
死因敵弾により戦死
行年38歳
5
墓碑銘故陸軍歩兵一等卒 井上安之助墓
戦役日露戦争
所属部隊   
死亡年月日明治37年9月19日
死亡場所寺兒溝西北地
死因敵弾により戦死
行年26歳
6
墓碑銘故陸軍歩兵一等卒 田中光太郎墓
戦役日露戦争
所属部隊   
死亡年月日明治37年12月1日
死亡場所旅順要塞第3回総攻撃
死因敵弾により戦死
行年22歳
7
墓碑銘故陸軍輜重輸卒勲八等 進藤宇太郎墓
戦役日露戦争
所属部隊臨時鉄道大隊
死亡年月日明治38年9月1日
死亡場所来馬三家子患者療養所
死因病死
行年22歳