浦賀引揚援護局引揚者精霊塔(長安寺)

軍事遺物
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終戦とともに、海外から軍人、軍属など在留邦人の引揚が始まった。浦賀港は引揚指定港に指定され、主に南方や中国大陸から約56万4千人を受け入れた。昭和20年10月から昭和22年5月の浦賀引揚援護局の閉鎖まで、引揚は行われたが、なかでも21年4月以降引揚船内でコレラが発生し、一時は10万人もの引揚者が上陸できず船内に閉じこめられ、日本上陸を前にして多くの方が亡くなるという悲惨な事態が発生した。
この精霊塔は、亡くなられた引揚者で引取人のない遺骨(残留遺骨)を葬り、供養するために、浦賀引揚援護局が昭和22年1月に建立したものである。
なお、浦賀の陸軍桟橋には、浦賀港引揚のことを記した「浦賀港引揚記念の碑」が建立されている。 また、久里浜少年院には、当時の死者を火葬にした際の火葬場の石を使った供養塔も建立されている。
碑高(棹石)124p、幅31p、奥行17p、台石46p、台座67p。
所在:長安寺(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「浦賀引揚援護局引揚者精霊塔」
碑裏面:
「昭和二十二年一月」