忠霊塔(馬門山墓地)

軍事遺物
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支那事変から大東亜戦争終結まで(皇紀2597年7月7日〜2605年8月15日)の横須賀鎮守府管下の諸英霊372柱が合祀され、昭和28年9月(碑には昭和21年8月15日と刻まれているが、墓地の説明板の建立年月を採用)に横須賀地方復員局によって建立された。
海軍省は敗戦とともに解体されたが、昭和20年12月後継機関として第2復員局が生まれた。同様に横須賀鎮守府は横須賀地方復員局に引き継がれた。 馬門山墓地も海軍省の管理から横須賀地方復員局に移っている。
正面には、「忠霊塔」の文字と中央には、2597年7月7日〜2605年8月15日の期間を刻んだ錨に桜を散らしたマークのレリーフ、下部に「支那事變大東亞戰爭戰歿者」の文字が刻まれている。題字は最後の横須賀鎮守府長官となった戸塚道太郎中将である。
全高約620p。
所在:馬門山墓地(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「忠霊塔 支那事變大東亞戰爭戰歿者」
碑裏面:
「由來記
昭和十二年支那事變勃發シ次ニ大東亞戰爭トナリ皇國未曽有ノ危局ニ到達スルヤ一家ヲ忘レ祖國ノ爲勇躍從軍シ砲煙彈雨ノ中酷熱瘴癘ニ抗シ或ハ寒風怒涛ト戰ヒ又ハ内地ニ於テ激務ニ從事中壮烈ナル戰死ヲ遂ゲ或ハ其ノ職ニ殉シ若クハ病魔ノ爲不歸ノ客トナレル舊横須賀鎮守府管下諸英霊ノ忠誠ヲ記念シ永遠ニ其ノ遺烈ヲ語リ傳ヘン爲此處ニ忠霊塔ヲ建立ス 昭和二十一年六月 横須賀地方復員局長官 古村啓藏」
「昭和二十一年八月十五日」