忠魂碑(中和田公園)

軍事遺物
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中和田公園は戦前は招魂社と呼ばれており、明治38年に持田製糸工場の持田初五郎氏が日露戦役紀念林として寄付した土地である。
かって、この場所には、日露戦争戦没者の表忠碑があったが、戦後取り壊されたため、昭和29年11月に西南戦争から大東亜戦争までの戦没者236柱を合祀する忠魂碑として再建された。
なお、日清戦争の青木初五郎氏、日露戦争の小山順次郎氏、小山由藏氏、小山時藏氏、森菊松氏、鈴木兼吉氏、鈴木才助氏の7氏は中田寺の慰霊塔にも合祀されている。
碑高316p、幅124p、厚さ18p、台石44.5p、基壇112p。
所在:中和田公園(横浜市泉区)

(刻字)
碑正面:
「忠魂碑」
*碑面の左部分、通常揮毫が刻まれる部分が削り取られてるように見えるが、理由は不明。
碑裏面:
「合祀英霊氏名
明治十年西南の役 安西萬治郎 近藤清治郎
明治二十七八年の役 青木初五郎 安西寅五郎
明治三十七八年の役 石井廣助 入内島元治郎 大竹彦四郎 山村柳助 小山順次郎 小山由藏
 小山時藏 森菊松 鈴木兼吉 鈴木才助 鈴木助之丞 鈴野満五郎
昭和十二年乃至二十年の役 上飯田町(48柱) 下飯田町(19柱) 和泉町(81柱) 中田町(72柱)
昭和二十九年十一月建之 中和田忠魂碑再建会
元中和田小學校長 山田豊次郎謹書  広石 佐藤勉刻」