海軍特年兵之碑(東郷神社)

軍事遺物(その他地域)
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十四歳の少年から志願者を採用した海軍特別少年兵(通称特年兵)の殉国碑。 碑は自然石に碑名を刻んで昭和46年5月16日、高松宮同妃殿下の御台臨を仰いで除幕式が挙行された。碑の脇には、香淳皇后の御歌を記した碑板も立つ。毎年四月上旬に特年会の慰霊祭が催される。
所在:東郷神社(渋谷区)

(刻字)
碑正面:
「海軍特年兵之碑]
[ あゝ特年兵
  作詞 山口純  作曲 三島秀記
時代はどんなに変わっても
胸にながれる 魂は
いついつまでも 咲き香る
真実の平和を 祈りつゝ
燃えた生命よ あゝ 特年兵

戦争のこわさも その意味も
知らないまゝで 童顔に
お国のため の 合言葉
一ずに抱きしめ 散った花
十四才の あゝ 夢哀し
  平田青□書」

碑裏面:
「海軍特年兵
 あゝ十四才 大日本帝国海軍史上 最年少の勇士である 少年兵より更に二才も若く しかも特例に基ずいたものであったため 特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年兵と略称された
 昭和十六年 帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した
 太平洋戦争の時局下に 純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた
その数は十七年の一期生三千二百名をはじめ 二期生四千名 三、四期生各五千名 終戦の二十年まで約一万七千二百名におよんだ
横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した
戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された
だが反面 幼いだけに犠牲者も多く 五千余名が 南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした
しかし 特年兵の存在は戦後 歴史から忘れられていたため 長い間 幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた
このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり その救国の赤誠と犠牲的精神は 日本国民の心に永遠に留め 讃えねばならない
英霊の声に呼び覚まされたかの如く 二十五回目の終戦記念日を迎えた四十五年 俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった
戦火は消えて 二十六年の長い歳月の後に 多くの人たちのご協力によって碑が こゝ東郷神社の聖域に建立されるに至った
そして幻の特年兵はようやく蘇った
そのうえ 特年兵たちが 国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり母と子の対面の象徴として表わしこゝに刻む
 除幕式には 特年兵にもゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した また 全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため それぞれ各県の石四十七個を持ち寄り 碑の礎に散りばめた
 吾々は 今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め 永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に 特年兵を顕彰し その真心と功績を後世に伝え 祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをこゝに誓う
昭和四十六年五月十六日 海軍特年兵生存者一同 建立委員長小塙精春撰文謹書」

台石裏面:
「碑銘 揮毫 昭和四十六年五月十六日  元 海軍大臣 海軍大将 野村直邦敬書
寄贈 歌 あゝ特年兵 昭和の白虎隊 作詩 山口純 作曲 三島秀記
京桜 御影石 茨城県真壁町 相田寅一
協賛 読売新聞社社会部 週刊読売 原野弥見  有山恭弘  大矢仁美
「あゝ十四才」 共感者有志 海上自衛隊 第二術科学校 職員 教官 学生有志
真壁町特操会 フジテレビ 小川宏ショー 新国劇映画株式会社 海上自衛隊東京音楽隊  ニッポン少年少女合唱団 吟詠天洲会寺山天洲 海上自衛隊第二術科学校吟詠部  元海軍関係者有志 元海軍特年兵関係者有志 
施工 礎石 相田寅一 基礎 湯木昭二 淀川三男
建主 元海軍特年兵生存者一同」