忠靈墓碑(頼忠寺)

軍事遺物
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大東亜戦争における戦没者23柱の集合墓碑である。最期の1柱は追刻されたもの。陸軍、海軍の所属が不明であるが、他の慰霊碑と比べて行年が高いのが特徴的である。建立年は不明である。

碑高187cm、幅80cm、厚さ17cm、台石45cm、基壇85cm
所在:頼忠寺(館山市)

(刻字)
(碑正面)
「忠靈墓碑
              俗名    行年    戰歿年月日         戰歿地
興亞院泰安道□居士 下里安治 五十七才 昭和十九年六月十二日 南洋群島方面
輝雲院南岳長義居士 平田長助 三十六才 昭和二十年十二月二日 馬來方面
儀照院國報一志居士 富川次 四十九才 昭和二十年六月八日  本州東南方海面
國報院天真良繁居士 安西繁雄 三十六才 昭和十九年八月十五日 内南洋方面
南海院政山不沈居士 出口政吉 四十一才 昭和二十年七月十六日 ジャワレンバン中
忠寶院武勲顕道居士 熊澤仲次郎 三十八才 昭和廿一年一月十二日 ブーゲンビル島
國柱院盡忠政雄居士 出口政雄 三十才  昭和十九年十一月十九日 フイリピン島
南薫院武烈功績居士 蛯原績  二十四才 昭和二十年七月五日  大村湾航空廠
報國院清岸不昧居士 山井清  二十四才 昭和十九年九月三十日 中部太平洋方面
報國院松山盡忠居士 蛯原由松 二十九才 昭和十九年二月十九日 ニューギニヤ方面
忠正院武勲義範居士 秋山弥太郎 四十二才 昭和二十年三月二十日 ハナイー方面
義航院盡忠無雙居士 津田市之助 四十九才 昭和二十年六月十五日 フイリピン群島方面
天龍院武勲謹勇居士 橋謹治 二十五才 昭和十九年十一月廿九日 ニューギニヤ島
慈航院忠山良義居士 磯辺久五郎 三十才 昭和十九年四月三十日 南洋群島方面
自勝院天外良機居士 平田勝  二十七才 昭和二十年一月十一日 マノクワ兵站病院
忠勇院傑山芳勲居士 田辺薫  十九才  昭和十九年十月廿五日 比島沖
盡忠院榮岳孝造居士 友野榮造 三十六才 昭和十九年七月十八日 中部太平洋方面
盡忠院天真理照居士 橋理介 二十九才 昭和十九年十一月廿九日 ビルマ方面
岳院忠勇義道居士 北條直吉 二十九才 昭和十九年六月一日  ニューギニヤ島
剣光院守嶽清忠居士 岩並清  三十五才 昭和十九年八月十日  マリアナ諸島方面
大雄院傑山龍喜居士 蛯原喜代治 三十七才 昭和二十年六月十八日 沖縄本島
盡忠院誠尚義功居士 友野尚  二十才  昭和十七年十一月十八日 南方方面
義光院松□攵進居士 俗名 山口□松 二十八才 昭和二十二年□月□日」