軍艦千島遭難者紀念標台座(諏訪大神社)

軍事遺物
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千嶋艦は明治25年フランスで建造された通報艦(水雷砲艦とも呼ばれた)であり、日本への回航中、明治25年11月30日、瀬戸内海(愛媛県堀江沖)にてイギリス商船「ラベンナ号」と衝突、沈没し、乗員90名のうち74名が犠牲となった。
この事件による准士官以下68名の慰霊のために、明治28年9月に諏訪大神社の境内に建立された。明治34年11月30日には10周年追悼祭が行われた。碑は戦後撤去され台座のみ残されている。士官6名はどうなったかというと、青山墓地に葬られ、哀悼碑が建てられている。
碑の形状について、宮司さんによると銅製(青銅?)の細長い角柱であり昭和23年に撤去され、高さは背面玉垣の下の猿田彦の石碑位あったそうである。
御影石製の台石の周囲には建碑賛同者名が刻まれており、当時の海軍軍艦や組織名を見ることが出来る。
なお、千嶋艦遭難については、この他に、東京青山霊園に「砲艦千島慰霊碑」、遭難の地である松山市の浄福寺に「千島艦遭難碑(揮毫は東郷平八郎)」と正岡子規が遭難の事を詠んだ句碑が、横須賀の龍本寺には軍艦千島殉難機關師の墓碑が建立されている。
台石高60p、基壇125p。
所在:諏訪大神社(横須賀市)

(刻字)
台石正面:
「建碑賛同者
 軍艦松島准士官以下有志者
 横須賀鎮守府海兵團下士以下有志者
 軍艦筑紫准士官以下有志者
 同 浪速准士官以下有志者
 同 鳥海准士官以下有志者
 同 葛城下士以下有志者
 横須賀水雷隊攻撃部下士以下有志者
 軍艦筑波准士官以下有志者
 同 八重山下士以下有志者
 同 雄下士以下有志者
 同 干珠下士以下有志者」
台石左面:
「軍艦館山下士以下有志者
 呉鎮守府海兵團准士官以下有志者
 呉海軍病院准士官以下有志者
 海軍大學校有志者
 海軍兵學校准士官以下有志者
 横須賀鎮守府主計部有志者
 呉鎮守府主計部准士官以下有志者
 軍艦磐城下士以下有志者
 同 金剛下士以下有志者
 七号水雷艇准士官有志者」
台石右面:
「軍艦千穂下士以下有志者
 同 赤城准士官以下有志者
 同武蔵下士以下有志者
 横須賀海軍病院下士以下有志者
 同 鎮守府造船部有志者
 軍艦天龍准士官以下有志者
 同 摩耶下士以下有志者
 佐世保鎮守府軍法會議有志者
 軍艦鳳翔下士以下有志者
 同 石川准士官以下有志者
台石裏面:
「東京芝區三田功運町 石工師 柳下新太良」

上面には碑を固定した跡が残っている。