義勇奉公(東大寺)

軍事遺物
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明治26年、谷川喜六さんが、父親の50回忌法要に合わせて、西南戦争戦没者、千島艦遭難者の慰霊碑を東大寺境内に建立したもの。詳細は説明板の内容を転載する。
『谷川喜六建立慰霊碑 奈良の仏教篤信者である谷川喜六氏が、明治十年(一八七七)西南の役戦没者、明治二十五年瀬戸内海に沈没した軍艦千島の殉職者及び喜六氏の父の五十回忌の慰霊法要を、私財を投じて明治二十六年四月八日(灌仏会)に大仏殿で盛大に営まれた。 この石碑はそれを記念して建立された慰霊碑である。表面の上部の「義勇奉公」の題額は小松宮彰仁親王、「西南役陣亡」「陸海軍人之碑」「千島艦水没」は伏見宮文秀女王の筆によるものである。 裏面の文章は、当時の奈良県知事古澤滋氏、筆者は能筆家日下部東作氏(号・鳴鶴)である。 日下部鳴鶴は、明治政府の近代化路線を推進する指導者の一人として活躍するが、独自の書風を確立して書聖と称えられ、巌谷一六、長三州とともに「明治の三筆」と称せられた。』
所在:東大寺(奈良市)

(刻字)
碑正面:
「義勇奉公  西南役陣亡 陸海軍人之碑 千島艦水没」
碑裏面:
「谷川喜六奈良人儉勤興家富致巨萬性信佛喜捨 明治廿六年灌佛日設大法會於大佛殿吊西南役 戦歿者與罹千島艦之難者併脩其先人五十回忌 □是曰會者僧尼二百四十六人遺族及近府縣貴 □名士凡二千八百九十三人又施米市中貧民十 斛洵近古未曽有之美挙也今茲請題額於古松宮 彰仁親王碑面字於伏見文秀女王勒石於大佛殿 前余嘉其志故記
    奈良縣知事従四位勲四等古澤滋撰
    五位 日下部東作書」