山川君碑(龍本寺)

軍事遺物
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山川伊之助は、海軍に奉職し、西南戦争に従事した後、明治18年6月、英国のロー・ウォーカー造船所で建造された浪速艦の回航任務のため英国に赴き、明治19年6月帰国した。しかし、途中肺病に罹り、帰国後東京海軍病院に入院したが、明治19年7月26日に病死した。29歳であった。碑は、翌明治20年8月に建立された。碑正面には、幕末の三舟と言われる山岡鉄舟による「山川君碑」の題字の下に経歴を記した碑文が刻まれている。
碑高163p、幅82p、厚さ15p、台石120p。
所在:龍本寺(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「山川君碑
君稱伊之助和歌山縣士族也以安政七年二月生于紀伊國東年婁郡新宮明神前明治七年々甫十七奉職海軍拮据勵精歴仕艦榮累遷其職十年二月西南乱作君従軍轉戰各地功勞不尠事平賜賞金若干十五年七月任三等機關工手 一八年六月浪速艦成君奉命赴英国従事回航十九年六月帰朝官慰其労賜金君之在英国也為風土所中遂罹肺疾此還至西紅海病殆危達印度洋少間帰朝後直投東京海軍病院醫療百万終不起嗚呼悲夫實明治十九年七月二十六日也享齢二十有九 葬于東京白金海軍墓地君為人信重穎悟前途頗有望加之接友醇篤使人景慕不巳以故相識諸氏相咨醵資建碑以尋生前之交銘曰
服官匪懈 致命不壽 接友醇篤
猶信身後 有此二者 眞足不朽
山岡銕舟君題字
明治二十年秋八月
海軍上等兵曹楢崎薫爾謹撰併書」
裏面:
「永代金拾五円 横須賀湊町 石工 鈴木文治郎」
*台石には、正面と裏面に建碑有志者の氏名、側面には建碑委員6名の氏名が刻まれている。