海軍火薬廠の跡(横浜ゴム平塚製造所)

軍事遺物
戻る

第二海軍火薬廠は、昭和20年7月16日の平塚空襲で壊滅したが、戦後跡地は、横浜ゴムに払い下げられた。現在も、横浜ゴム平塚製造所として稼働しており、正門付近の公道に面した小区画を開放してもらい、昭和49年に記念碑が建立された。
碑高102p、幅255p、厚さ40p、台石33p、基壇25p。
所在:横浜ゴム平塚製造所(平塚市)

(刻字)
碑正面:
「海軍火薬廠の跡 岸本肇書
ここを正面に 四十余万坪の地は海軍火薬廠の跡である
同廠は明治三十八年日本政府と英国アームストロング  ノーベル チルウォースの三会社との契約により設立された日本爆発物製造製造株式会社 を 大正八年海軍省が買収したものであって 爾来昭和二十年まで日本海軍の火薬 技術の中心として 数多い功績を残すと共に 平塚市の発展と文化に多大の貢献をしたところ である
ここにその事績を偲びこの碑を建てる
昭和四十九年秋日   海軍火薬廠跡の碑建立の会  水島英耀書」
添碑:「宮崎県 千穂産 製作 日本鉱石株式会社」
施工者銘板:「施工 株式会社小菅建設」