世田谷平和記念碑「平和の祈り」

軍事遺物

世田谷公園内、噴水広場の北東の位置、円形の階段状ステージ上に設置されている。
除幕は、昭和61年12月10日。前年8月15日に行われた世田谷区の「平和都市宣言」を記念し、国際平和年にあたるに翌年に区民からの寄付をもとに設置された。
桜御影の台座上に建つ高さ1.5mメートルの少女のブロンズ像で、作者は同区在住の彫刻家佐藤助雄氏である。
像の後背部は石材で半円に囲われており、其の石材に2枚のブロンズ製プレートが付けられている。 右手は平和都市宣言文。左手は協賛者名簿の巻頭文が掲げられている。この内容から、寄付者は世田谷平和の塔を建立する会であり、当初の計画では像ではなく塔であったことが推測される。
所在:世田谷公園(世田谷区)

(刻字)
台座プレート:
「平和の祈り 佐藤助雄」
碑裏面:
「昭和五拾年八月 大岡豊之助謹書 御薬袋石材店施工」
台座側面プレート:
「世田谷平和祈念碑 「平和の祈り」
 世田谷区は、昭和60年5月の区議会臨時会において、「平和都市宣言に関する決議」が全会一致で採択されたことを受け、40回目の終戦記念日である同年8月15日、平和を願う区民の願いにこたえ、世界の恒久平和確立をめざす「平和都市宣言」を行いました。
 これを記念し、区は、ここ世田谷公園に、彫刻家・佐藤助雄氏の手による「平和の祈り」と題する彫刻を設置することとし、国連の国際平和年にあたる昭和61年12月10日、除幕の運びとなったものです。
 この像の少女が片手に持っている燭台は、平和への祈りをシンボライズしたものです。
   昭和61年(1986年)12月 世田谷区
佐藤助男略歴
大正8年(1919年)山形市に生まれる 昭和16年(1941年)文展に初入選 以来文展・日展に連続出品 日本彫刻会委員長、日展理事などの要職を歴任し現在に至る 世田谷区豪徳寺在住」

台座背面プレート:
「昭和61年12月10日  世田谷区 世田谷平和の塔を建立する会」

後背部プレート左:
「協賛者名簿(巻頭文)
 私達は、ふるさと世田谷を愛し平和な世の中であることを心から願っております。
 さて、昭和六十年八月十五日、世田谷区は区民の熱望にこたえて「平和都市宣言」をいたしました。この意義はまことに大きく、私達は改めて先の戦争により直接、間接にかかわらず不幸にも亡くなられた多くの方々のご 冥福をお祈りすると共に恒久の平和を念頭し「世田谷平和の塔」を区民の心の象徴として世田谷公園内に建立し、同時にこの建立について深いご理解とご賛同をいただいた四千百七十八人のご芳名を奉書七巻に記載し、協賛 者名簿として塔内に納め、永く後世に伝えることにいたしました。
 戦争のない社会こそ私達の希求してやまないものであります。平和な世の中が続きますことを祈念しながら本名簿の巻頭のご挨拶といたします。  昭和六十一年十二月  世田谷平和の塔を建立する会」

後背部プレート右:
「平和都市宣言
 われわれの住む地球上から核兵器をなくし、戦争のない平和な社会を実現していくことは、すべての人びとの願いである。
しかし、いまなお世界の各地では、武力による紛争が絶えず、一方核軍備の拡張競争は一段と激化し、世界の平和に深刻な脅威をもたらしている。
われわれは、人類永遠の平和を樹立するために、核兵器がこの地球上からなくなる日を心から願うとともに、我が国が今後とも核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませずの「非核三原則」を堅持していくことを強く望むものである。
世田谷区は、平和を愛する区民の願いにこたえ、核兵器の廃絶と世界に平和の輪を広げていくことを誓い、ここに「平和都市」であることを宣言する。
昭和六十年八月十五日  世田谷区」