海軍技研址(下香貫)

軍事遺物

海軍技術研究所とは、海軍兵器開発に関する技術の実験研究を行う機関であり、中目黒の防衛装備庁艦艇装備研究所はその跡地である。技研の研究部門の一つである音響部門が昭和16年に移転したのがこの海軍技研址である。本拠地が手狭になったためだという。敷地には研究所の外に工員宿舎や倉庫、実験施設などが建ち並び、最盛期には2千人近くの人員が働いていたとされる。
場所は今の市立第三中学校の周辺であるが、現在、住宅地に変貌し、往時を偲ぶことはできない。この碑は海軍技術研究所の存在を後世に伝えるため昭和48年に建立された。また、平成17年に最後まで残されていた遺構である燃料倉庫が取壊された際にレンガの一部を用いてモニュメントが造られた。この碑とモニュメントは第三中学校の前に建てられている。
縦220cm、横55cm、高さ30p、台石75p。
所在:下香貫(沼津市)

(刻字)
碑正面: 「海軍技研址」
碑裏面: 「太平洋戦爭中海軍技術研究所音響研究部は本拠をこの下香貫に基地を江浦淡島牛臥大瀬崎等に置く國を愛する若人一千八百各持場に心血を注ぎ純情の学究南波醇三身を挺して南海の戦場に殉じ又十七才の少女菊地ひで等七名空爆の犠牲となりてこの処に散華す 往時を偲び記念碑を地元の有志榊原平作氏の好意によりこの地に建つ  
音響会  昭和四十八年桜咲く頃  碧洞佃定雄并書」

旧倉庫のレンガ壁を用いたモニュメント。当時のレンガ倉庫の写真と音響研究部の建物配置図及び沼津市教育委員会による説明板が取付けられている。

(説明板)
「旧海軍技術研究所について
旧海軍技術研究所は、大正12年(1923)に東京に設立された旧海軍の兵器開発・研究機関です。沼津には音響研究部という部門が、昭和16年(1941)11月に現在の第三中学高校とその周辺の約27万uを敷地として設置されました。  敷地内には、研究所・工員宿舎・実験用水槽・作業場・倉庫などがあり、海軍の武官・文官をはじめ徴用工員・女子挺身隊を含め約2,000人が働いていました。  この研究所では、空中・水中聴音機、潜水艦探知機、音響魚雷・爆雷などの研究・開発が行われていました。  この碑は、第三中学校の東方に残っていたレンガ造りの燃料倉庫を、平成14年に取り壊した際に保存しておいた部材を使用しています。
平成17年7月  沼津市教育委員会」 」