爆彈三勇士表勲碑(鎌倉山)

軍事遺物
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爆弾三勇士とは、上海事変の際、昭和7年2月22日、敵陣へ破壊筒を持って突入し、爆死した3名の一等兵のことで、美談として大々的に報道された。肉弾三勇士とも呼ばれる。 この爆弾三勇士を称える碑である。
碑は鳥居を流用した円柱で、円筒2段の台座上に建てられている。周囲は御影石の柱と鎖で円形に囲まれており、往時は立派な碑であった思われるが、現在は管理されておらず、荒れたままで放置されている。
碑高:約650p(台座含む)、直径65p。
刻字:「赫赫巍巍 爆弾三勇士表勲碑 陸軍大臣 荒木貞夫敬書(花押)」
碑下部に碑誌が刻まれているが判読が困難である。
建立:昭和8年12月22日

なお、碑石は、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居の柱が使われているらしい。碑上部の穴は鳥居の横桁を通したものである。 また、次のような鳥居に刻まれた文字も残されている。
「寛文八年戌申八月十三日 御再興 鶴岡八幡宮石□□表」