海軍通信学校跡

軍事遺物
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海軍における通信教育は、水雷学校の前身である水雷術練習所にて行われていたが、昭和5年6月に水雷学校から分離し独立し、海軍通信学校が創設された。昭和9年3月には、水雷学校に隣接する敷地に新校舎が建てられたが、人員増に対応するため、昭和14年11月に久里浜の地に新校舎が完成し、田浦より移転した。

久里浜の通信学校は戦後、米軍や水産講習所等に転用されたが、最終的には陸上自衛隊久里浜駐屯地として今に至っている。久里浜駐屯地には陸上自衛隊通信学校があり、今も通信教育の中心として使用されている。

この碑は、昭和47年11月5日に第52期普通科練習生により建立されたもので、因みに52期とは、通信学校が久里浜に移転した最初の入校生である。
碑前面には、「海軍通信学校跡」、裏面には「我々ここに巣立つ 第五十二期普通科練習生 十四志 昭和四十七年十一月五日 建立 海軍中将 志摩清英書」と碑文が刻まれている。志摩中将は、昭和18年9月16日から昭和19年1月31日までの通信学校長である。

左写真は碑の脇にある海軍用地標石。由来は不明だが、海軍通信学校の敷地境界用か。