忠魂祠堂(光心寺)

軍事遺物

忠魂祠堂は、浄土宗が、日清戦役戦病死者の英霊を慰めるため当時の師団及び軍港所在地に建立したものである。
この忠魂祠堂は、横須賀鎮守府が明治33年10月28日、大勝利山(小屋の台)に建立したもので、足柄下郡芦子村にあった天栄寺を移したものである。境内には、北京籠城軍艦愛宕戰死者碑も建てられていた。
しかし、関東大震災により倒壊したため、昭和12年2月6日、浄土宗光心寺の境内に再建された。その際、日清戦争以降の戦没者を合祀した。 軍艦愛宕の碑は、馬門山墓地に移された。
なお、光心寺も、元は楠ケ浦にあったが、大正末期に海軍用地として接収され、現在地に移転したものである。
*当時の新聞報道によれば、忠魂祠堂は県浄土宗関係者が日清戦争後に忠魂碑を建てるために、小田原の廃寺であった天栄寺を小屋の台に移したもので、天栄寺として葬式なども行っていた。しかし、年月を経て無住となり、建物も暴風雨で倒れたままであったため、光心寺が合併しようとし、数年間ごたついていたが、県市の社寺係が仲介し、無事に光心寺と合併することになった由。

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