東京都慰霊堂(横網町公園)

軍事遺物

もとは、関東大震災による遭難者の御遺骨(5万8千体)を納め、亡くなった方々の霊を祀るための「震災記念堂(昭和5年4月30竣工)」である。震災の際に最も被害が大きかった本所被服廠跡地に建設された。 その後、東京空襲による遭難者の御遺骨(10万5千体)と亡くなった方々の霊も合祀され、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改めた。関東大震災の9月1日と東京大空襲の3月10日の2回大法要が行われている。
建物は、伊東忠太の設計。鉄骨鉄筋コンクリート造で中国やインドなどの様式を取り入れた独特な折衷寺院建築である。本堂と三重塔で構成されており、延床面積は1,470u。三重塔は納骨堂である。
被服廠とは、陸軍の軍服を製造する場所で、明治23年に本所区に設置されたが、大正8年に赤羽台に移転している。関東大震災の際には、その跡地に避難してきた住民が火災旋風によって大勢死亡した。
なお、本所被服廠跡地には、昭和5年9月1日に震災を記念した公園として横網町公園が造られた。公園内には、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」も建立されている。
所在:横網町公園(墨田区)

本堂の入口部分
本堂内部。教会のような造りである
本堂内には、関東大震災時の絵画とともに、
東京空襲の写真も展示されている
本堂奥の三重塔
江戸時代に築造された旧安田庭園から望む三重塔。
左手には現代の象徴、スカイツリー。

このページのトップへ