厚木市戦没者慰霊堂(飯山観音隣)

軍事遺物

厚木市における明治以降の各戦役において、平和日本の礎となられた諸霊に対し、追悼の誠をささげるため建立されたもの。 合祀者数1,469柱。飯山観音長谷寺の隣接地に昭和48年度末に建立された。
堂内には、厚木の住人であった日展会員 難波孫次郎氏制作による釈尊像が安置されている。
飯山観音とは高野山真言宗の寺院で長谷寺(ちょうこくじ)という高野山真言宗の寺院で、坂東三十三観音霊場の第六番礼所 として有名。
所在:(飯山観音隣:厚木市)

飯山観音の駐車場の奥、一段登った場所に建立されている。RC・鉄筋コンクリート造で面積35u。

入口の社名碑と釈尊像完成記念碑
(社名碑)
正面: 「厚木市戦没者慰霊堂」
裏面: 「平成十八年十月吉日建立 厚木市遺族会」
(完成記念碑)
正面:
「英霊よ とこしえに 安らかなれ 日本が体験した幾多の戦役において 祖国の栄光を念じつつ あたらしい春秋に富む 尊い身命を捧げられた 英霊のとこしえに安らかならんことを祈り 人類永遠の平和と繁栄を願うものであります 昭和四十九年深秋  厚木遺族会」
裏面:
「厚木市が建立した戦没者慰霊堂に安置されている慰霊釈尊は 私たち遺族の発願によるものであり その経費は遺族各位の寄附により造顕されました 完成にあたり記念碑を建立し各位のご協力に厚くお礼申しあげます   昭和四十九年深秋
厚木市遺族会 会長 難波誠三 (以下16地区会長名)」

慰霊堂像建立記念碑
正面:
「慰霊堂像建立記念碑
 祖国の栄光と平和を願いつつ 明治以来幾多の戦役に 若く尊い生命を捧げられた 厚木市1400余柱の御霊のとこしえに安らかならんことを祈念し 併せて悲惨な戦争なき平和をこい願って ここ飯山の霊地に戦没者慰霊堂像を建立いたしました  堂宇内安置の釈尊像は 市内妻田に在住の日展会員 難波孫次郎氏に依頼し 氏が一刀三拝の礼意をつくして造顕されたものであります 願わくは この功徳をもって 人類永遠の平和と郷土の繁栄が成就されますよう 御霊のご照覧を仰ぐ次第であります   昭和49年11月29日  撰文並びに書  厚木市長 石井忠重」
裏面:
「慰霊像作者の言葉
 今を去る二千五百年前 インドヒマラヤ山麓カビラ城の王子シッタルダ 難行苦行の□ 古代インド宗教よりいでて□道に入り 道を啓く 其の心は無我 広大無辺の慈悲に差別なし 是すべてを超えた教えの根本なり 釈尊聖者はあまねく法界の源泉にしてこの訓を真に平和へのあゆみとならん  美しさに憧れ 愛する心 それは 生れ乍らにひとしく持っている喜び である  ものゝ尊しさ 心の豊かさ 真を究めて喜と美との極致は人類が向上への理想の世界  其の具体化を仏陀の姿にも見る  深々と内にたゝえられたる限りなき静けさ 清澄なこの尊しさにひかれる心 これを健やかに育くむことはやがて幸せにつらなる道を見つけるであろう  慰霊は慈悲の心 愛憎追慕の情 □わしき人の本性により永劫に尽き ることなき心の□流である   変転せる世情幾星霜 故国の幸せを祈りつゝ身を挺し 平和の礎となって散華した若き命に 誰が痛哭の涙を押えられよう こゝに再び戦禍なき平和を希い 遺族と大方の切なる発願により 数多の霊の永久に安らかならん事を 祈念 一刀三拝の礼意を尽くして釈尊禅定の姿を造顕 以って慰霊の□願に捧ぐ
昭和四十九年深秋
本尊仝佛教哲理の九段方形□□□及建碑
制作設計撰文日展審査員難波孫次郎謹書