箱崎砲台

<概要>横須賀市箱崎
高砲台:明治21年起工、明治22年竣工、明治25年28糎榴弾砲据付竣工  低砲台:明治22年起工、明治23年竣工、明治27年24糎加農砲据付竣工
大正2年廃止通達、大正4年除籍、28糎榴弾砲8門、24糎加農砲4門砲台

<構造・現状>
横須賀軍港防御のため、横須賀湾口西側先端の箱崎に築かれた。東の波島砲台と対で防御する。
砲戦用として高地に榴弾砲台、側防用として低地にカノン砲台とセットで構築された典型的な砲台である。
高砲台は、横墻を挟んで4つの砲座が並んでいるが、1つの砲座に2門の28糎榴弾砲が据付けられていた。 低砲台も、横墻を挟んで4つの砲座が並び、それぞれ24糎カノン砲が据付けられていた。
砲台は、大正4年に除籍されたが、箱崎半島は海軍省に買収され、海軍用地として測候所、信号所や軍需部の貯油所が設けられた。 戦後は、米軍に接収されたが、現在も米軍施設となっており、海自と共同使用されている。低砲台は海自の施設となり、高砲台部分は放置されているが樹林の中に一部砲台の遺構が残っている。

明治41年版地図

箱崎半島の航空写真。
低砲台は地形が変わっているのが分る。高砲台は緑に埋もれて不明である。
江戸時代の掘割は埋められている。

笹山砲台方面から箱崎を遠望する。
現在も、米軍の貯油施設となっており、半島先端部の石油タンクが写真左端に見える。

地形の変遷を図示する。
箱崎半島沖は波が荒いため、安政元年に掘割が開削されていたが、船越に水雷営が設置されたのを受け、横須賀港と長浦港を結ぶために、明治22年、海軍は半島基部に新掘割を開通させた。荒井(新井)の掘割と言われている。
新掘割により陸地と切り離されたことで箱崎半島は吾妻島と呼ばれるようになった。

トライアングルによる横須賀軍港ツアーで、この掘割を通行している。

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