観音崎第三砲台(旧第四砲台、北門第三砲台)

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<沿革>横須賀市鴨居
明治15年8月:起工
明治17年6月:竣工
明治27年9月:二十八センチ榴弾砲4門据付竣工(内2門は旧第三砲台から移された)
大正12年9月:関東大震災により損傷
大正14年7月:除籍
二十八センチ榴弾砲4門

<構造>
南向きの見晴らしの良い山腹に築かれており、レンガ巻き立ての第三砲台隧道を抜けてアクセスする。隧道を抜けると左手に方形の広場があり、ここに砲具庫が建てられていた。また、レンガ造の掩蔽壕が2基設けられている。
その先、切通しの突当りに、高さのある横墻をはさんで両側に角丸長方形の砲座が位置している。
各砲座には二十八センチ榴弾砲が2門づつ計4門据えられていた。榴弾砲のため、胸墻は横墻と同様の高さで、砲座内からの視界は遮られている。胸墻の上部は、2段の斜面で構成されており、表面にはモルタールが塗られている。
中央横墻下部には地下砲側弾薬庫が設けられ砲座面の位置に揚弾井が開口している。中央横墻下部の弾薬庫を含む構造物はフランス積みのレンガ造である。
砲座の両翼には観測所が設けられており、砲座内の階段から上って行ける様になっている。
砲座後背部の2基の掩蔽部はイギリス積みであり、また天井アーチ部分がコンクリート造であることから、竣工後しばらくしてから建設されたものであろう。
なお、隧道上の高低2箇所に観測所らしき跡がある。
また、第三砲台隧道入口の左手に崖を削った小広場があり、なにか施設があったものと推測される。

明治41年版地図

<現状>
砲台跡は、現在、海の見晴台として開放されていて、トンネルを抜けると正面に出現する重厚な石積みが印象的な砲台である。
砲座は第二砲座部分が公園整備で破壊され消滅したが、第一砲座及び中央横墻はよく残っている。 中央横墻下の揚弾井部分も残っているが揚弾口は土で埋まっている。
地下砲側弾薬庫も残っていると思われるが、入口部分が埋められており確認不能である。砲座へ上る階段も公園整備の際に再生されたもの。
両翼観測所は震災で破壊されたままの状態で残っている。特に左翼観測所は斜面から滑り落ちており、元の場所にはレンガの基礎部分が残り、上部のコンクリート製の測遠機室は斜面下に残っている。
砲座後背部の掩蔽壕は前面がコンクリートで塞がれているが、内部は破壊された状態で残っている。砲具庫はもちろん跡形もない。
なお、隧道口上に残る2箇所の観測所状遺構については、隧道口上は第一砲台の観測所同様3本の石柱のみ残っているが、石柱の断面が方形でなく八角形である。また、最高部の観測所は円筒状のレンガ壁と中央に測遠機台と思われる円柱が残っている。これらは砲座の後背部にあり、この位置関係は付近の他の砲台では見られないため、特に最高部の観測所は第3砲台用ではなく、周辺の砲台で供用していたのではと推測している。
隧道入口左手広場には最近まで公衆トイレが建てられていた。

第三砲台隧道。長さは70m程度。 隧道を抜けた左手にある掩蔽部。
2基構築されている。
同左内部。
前面壁は破壊されている。
同左上部の通気口
隧道を出て正面に現れる重厚な石積 現存する第一砲座部分。 同左。円形部分が榴弾砲砲床。 砲座正面の胸墻。
上部はモルタル塗布。
中央横墻。開口部は揚弾口。
地下に砲側弾薬庫が造られている。
同左近接。揚弾井は埋まっている。 観測所への石段 右翼観測所
左翼観測所下部。
上部構造物は斜面下に落下。
観測所上部 隧道上の観測所跡 隧道上最頂部の観測所跡。
円筒レンガ壁が珍しい。