千駄ケ崎砲台

<沿革>横須賀市野比
大正13年竣工、大震災後の要塞復旧計画のなかで、「応急施設砲台にして復旧建設に加えるもの」として建設された。第三海堡から撤去された七年式10センチ速射カノン砲4門が据付けられた。
昭和16年、東京湾要塞重砲兵連隊第一大隊第三中隊が守備についたが、昭和19年2月剣崎砲台へ移転した。 また、速射カノン砲4門は昭和20年に房総鴨川陣地へ移された。

4つのコンクリート製の砲座(首線東)が一直線に並び、各砲座間に横墻があった。背後の山頂に観測所があり、 砲座の左前方に探照灯庫があったとされる。
昭和30年代に行われた東京電力横須賀火力発電所の建設工事(千駄ケ崎を削って埋め立てた)により遺構は全く失われた。

昭和29年航空写真

昭和60年。発電所により地形が大きく変わった。

幕末の台場跡。
この背後に築かれていた。

調査で唯一発見した
遺構。陸軍用地石碑。

砲台への軍道の途中の
煉瓦造トンネル

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