友ヶ島第一砲台

<沿革>
・明治22年9月起工
・明治23年11月竣工
・明治30年頃:27pカノン据付
・27pカノン4門、機関砲4門

<概要・構造>
 友ケ島とは沖ノ島・地ノ島・虎島・神島の総称であり、砲台が立地しているのは沖ノ島と虎島である。最初の頃は沖ノ友島砲台と呼ばれていた。(住所は加太苫ヶ沖島)
 友ヶ島地区砲台の目的は、「由良及び深山地区砲台と相俟って紀淡海峡を扼するにあり」であり、沖ノ島に5か所、虎島に1箇所の全6か所に砲台が建設された。 最初に建設されたのが第一砲台で、目的は「由良海峡を射撃し以て同海峡を通過せんとする敵艦の動作を防遏(防止)する」である。 この場所には既に明治5年6月27日に点灯した友が島灯台が建っていたため、灯台は移設(東に25m)された。明治22年6月移転了承の回答が逓信大臣後藤象二郎から陸軍大臣大山巌あて出されている。移転先は背墻の上を整地して広げるしかなく、移設に要する予算は8600円。
 首線は西。南北に4つの砲座が一列に並び、備砲は仏国製斯式30口径27pカノン4門、他に機関砲が4門設置されていた。砲座と背墻の間は塁道になるが、レンガ壁で囲われた地下露天空間になっている。左右横墻の地下にはそれぞれ砲測庫が設けられている。中央の横墻は背墻まで延長され、その下は隧道になっており、隧道中央部にあたる中央横墻の下にも掩蔽部が造られている。左翼背墻の地下にも2連の掩蔽部が造られている。
横墻には高塁道が設けられ中央部に小隊長掩壕が設けられている。 観測所は両翼にあり、それぞれ地下付属室も設けられている。この付属室も露天空間の両端から出入りする。 入口は左翼端の背後から隧道で進入する。この入口手前左手には井戸が設けられている。
*平面図の赤線部分は地下構造物である。

<現状>
 沖ノ島は、戦後、地域住民が買い取るなどで開発から守ってきた経緯があり、さらに瀬戸内海国立公園に指定されたことで、砲台の遺構はそれほど損なわれず(第二砲台以外)、良好な状態で残されている。現在は和歌山市が管理をしている。
 第一砲台は友ヶ島灯台の敷地となっており、一部を除いて立ち入ることはできない。 見学用に整備されていないため、砲座や横墻は藪となっており、さらに第三砲座は胸墻が壊され通路になっており、中央横墻上も通路として使われている。しかし、掘割のレンガ空間は圧巻であり、また全国的にも希少な鋼製掩蓋がついた状態の観測所を見ることが出来る。 年2回に開催される友ヶ島灯台一般公開の際に見学できる。

砲台入口の隧道。隣は灯台へ上る階段

左翼の掘割塁道と背墻下の掩蔽部

左翼砲側庫。27pカノン用なので大きい

第三砲座

左翼観測所の鋼製掩蓋

右翼掘割塁道

右翼観測所

右翼観測所内部

右翼観測所内部。天井は板張りである

右翼観測所付属室

友ヶ島灯台。8番目に竣工した西洋式灯台

日本最南端子午線塔

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