京急線 記念艦三笠キップ〜海軍のまちをゆく〜

インフォメーション(2011.10.24)
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京急線の駅や車内のポスターで今年の4月から掲出されているものです。
NHKの特別ドラマ「坂の上の雲」にあやかり、復元50周年の記念艦三笠をPRするのに京急と横須賀市が売り出した割引きっぷのことですね。
このポスターには、〜空と海に囲まれた街、横須賀。 明治から現在に至るまで、海軍の街として時を刻んできました。 今なお残る海軍の歴史舞台をめぐりながら・・・。〜 と書かれています。
そしてそのイメージ写真が9点使われています。
それが、結構マニアックなものを対象にしています。この写真を見て、これがどこの何か?がわかる人はほとんどいないのではないでしょうか。
ならばなんでこの写真を選んだのでしょうか。また、厳密には「海軍の街」とうたいながら陸軍施設の写真がはいっていたりします。海軍の街横須賀らしい写真を選んだのでしょうが、 坂の上の雲に関連するものならばわかりますが、関係ないものもあります。 これは、今後、マニアックな軍事遺構を観光の売りにしようという魂胆なのでしょうか?
でも、まあ、そんな野暮なことはいわないで、横須賀が大日本帝国の最重要軍事拠点であったのは事実ですし、私も多くの日本人に知っていただきたいと考えています。 よけいなお世話かも知れませんが、せっかくなので簡単に解説してみましょう。
左から3枚づつ切り取って解説します。
左手の碑は、「海軍航空發祥之地」の石碑です。追浜の貝山緑地にあります。 横須賀海軍航空隊で行われた日本海軍の初飛行を記念して、昭和12年に建立されたものです。
中央は、JR田浦駅裏に残る第二海軍航空廠横須賀補給工場の倉庫です。現在は相模運輸倉庫が使用しています。
右は、これは9枚のうちで一番マニアックです。久里浜の八幡神社に移された海軍工作学校の神社「工作神社」です。私もこの存在は書籍等では分からず、現地調査の中で偶然発見したものです。よくこんな写真をいれたものですね。


お次ですが、右手はヴェルニー公園に残る逸見営門です。これはポピュラーですね。
中央は、昨年だったか話題になりました。観音崎公園のボランティアさん達が作った二十八糎榴弾砲の模型です。観音崎公園の展望広場に今も設置してあります。 まさに、坂の上の雲に出てくる旅順攻撃に使われた観音崎砲台の大砲ということで造られたのですが、残念ながら史実では、旅順攻撃に送られたのは観音崎ではなく、米ケ浜砲台と箱崎砲台のものでした。
右手は、これも観音公園の残る三軒家砲台の遺構です。具体的には司令所付属室です。これなんかは陸軍施設で、海軍の街には直接関連はないようですね。


最後の3枚です。
左手は、これも分かりにくいものですが、今年から廃止された観音崎青少年の村です。実は、観音崎弾薬庫の火薬庫などが現存しているので使われたのでしょう。これも海軍の街には関係が薄そうですね。
中央は、浦賀住重の造船所の切り取られたクレーンですね。直接海軍施設ではないのですが、かっては、帝国海軍の駆逐艦の重要な造船所でした。
最後の一枚です。 これも新聞等でたびたび報道がありましが、第三海堡の遺構です。東京湾中から引き上げられたレンガ造兵舎です。今はうみかぜ公園で展示されています。 そうそう、海堡とは海中に人工の島を作ってそこに大砲をすえつけた砲台で、東京湾には明治から大正にかけて3つ造られました。第一海堡と第二海堡は今も残っています。第三海堡は関東大震災で全壊、放棄されたため、船の航行に支障となっており、引揚が行われたものです。

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