百貨店の広告

広 告
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新聞広告を出している百貨店は、横浜の松屋、野澤屋と寿屋、横須賀のさいか屋、川崎の小美屋位である。
百貨店は売り出しや展覧会など催物を随時開催しており、その内容はまさに時世を反映している。
特に、昭和15年7月7日に施工された「七・七禁令」と呼ばれる「奢侈品等製造販売制限規則」によって、宝石や高級服といった贅沢品の製造・販売が禁止されことにより、百貨店は大打撃を受ける。 しかも、この頃は生活必需品の切符配給制によって、販売できる商品点数も減少していったため、戦地に送る慰問品の販売や催事場での国策に沿った催しを行うようになっていった。

さいか屋の広告
軍港横須賀を代表する百貨店さいか屋の広告。海軍機による中国爆撃の印象からか、空に爆撃機の編隊を配しているのが横須賀の広告らしい。
さいか屋は幕末に浦賀に開業された呉服店が発祥であり、明治5年に将来性を見込んで横須賀に雑賀屋呉服店を開業した。イラストの社屋は関東大震災による店舗全焼のため昭和3年に新築されたもので、ここから百貨店となったようである。なお、所在の東郷通りは、大滝通りと名称変更されている。


内容
「さいか屋
横須賀市東郷通り」
掲載:昭和14年6月 
デパート週休制決定の広告
非常時のご時勢から、デパートも営業自粛方向にあり、従来8の日付く日で月3日の定休日が、毎月曜日が定休日という週休制に変更となった。東京の百貨店に準じて横浜でも8月から導入された。

内容
「横浜・伊勢佐木町 野澤屋
定休日変更に付 謹告
今般都合により八月依り毎週月曜日を定休日 と相定め申候間何卒御諒承賜り度く奉希上候
八月の定休日 七日、十四日 二十一日、二十八日(毎月曜日)

横浜 松屋
謹告 従来八の日を定休日と致居候処今般都合により週休制を採用致し八月以降 毎月曜日を定休日 と相定め候間何卒御諒承賜り度此段謹告仕候敬白
八月の定休日 七日 十四日 二十一日 二十八日」
掲載:昭和14年8月 
野澤屋の広告
慰問向商品の特売と支那事変の写真展というまさに戦時下の催しである。


内容
「夏物残品処分  二十二日より二十七日まで 五階 
呉服・雑貨の残品各種を処分値にて一掃
皇軍慰問品特設売場 五階 各種の好適品…荷造り承ります
東京朝日新聞社提供 事変写真展 五階 最近のニュース写真を始め前線を偲ぶ特選集
横浜・伊勢佐木町 野澤屋 月曜週休」
掲載:昭和14年8月 
国民防空展覧会の広告
野澤屋ではしばしば軍国・軍事催事が開催されていたが、これは空襲対策の展覧会。当時、日本は空襲を受けたことも、その可能性もほとんどなかったのであるが、国内では空襲に対する危機感は常に持っていたようである。


内容
「国民防空展覧会  国民が知らねばならぬ防空常識
主催 内務省 大日本防空協会 神奈川県 一日より八日まで 五階
スワ空襲! 防空・防毒は我等の手で ・防空に対してどんな備えが必要か ・空襲に対していかに処すべきか  パノラマ 動的ジオラマ 立体図解 図表・写真 模型 その他の資料により興味深く展覧
横浜 野澤屋」
掲載:昭和14年9月 
松屋の広告
野澤屋に対抗したのであろうか、松屋でも慰問袋の催しである。


内容
「陸軍省後援 ”戦線で喜ばれる” 献納慰問袋の会
八日まで………(地階) 
銃後の感謝を込めて一つでも多く慰問文□文袋を送りましょう 七十銭・一円 一円五十銭(三種)
 横浜松屋 月曜定休・次の休日・九日」
掲載:昭和14年10月 
野澤屋の広告
銃後強化写真展とはいったい?

内容
「特価五十銭一円一円五十銭均一 三十日より十日まで 五階 実用向の品を各種よりどり均一お値打品揃い
報知新聞社 銃後強化写真展 一日より四日まで 五階 各地から募集した銃後に□る生活□々相の入選写真
横浜野澤屋」
掲載:昭和15年2月 
松屋の広告
慰問品の催しは百貨店にとって有り難い企画であったろう。


内容
「第三回 兵隊さんに喜ばれる慰問袋の会(陸軍省後援)…20日より29日まで… 地階    進撃に守備に御苦労をお慰め申上ぐる好適品を取揃え 特に市内女学生の慰問□と文を封入致します
国防民空展 20日より27日まで …七階…
掲載:昭和15年9月 
松屋の広告
新体制に応じて、とうとう冠婚葬祭についても華美を廃し、質素倹約が強制されるようになった

内容
「簡易な……御婚礼衣装と調度家具
…新時代に相応しい質実清楚を旨として…〜 」
掲載:昭和15年10月 
松屋の広告
百貨店らしい品揃えが印象的な広告。その中でも皇軍慰問品を目立たせているのがご時世か。


内容
「十二月の松屋
需要最盛期に際し質実な御日用品を取揃えて然も最低廉売の全店ご奉仕〜  皇軍慰問用品」
掲載:昭和15年12月 
小美屋の広告
川崎の百貨店、小美屋の広告。日の丸や戦闘機をあしらうことで、慰問品を強調しているようだ。


内容
「皇軍慰問 品色々取揃えてあります  川崎 小美屋」
掲載:昭和16年1月 
壽百貨店の広告
なんでも報国としていた時代、配給報告という新語が生まれた。ここは伊勢佐木町にあった百貨店だが、昭和19年に松屋呉服店となり、その後、横浜松坂屋(現在閉店)となる。


内容
「配給報告 頌春 皇紀二千六百一年 良質必需百貨
御奉仕均一 五十銭・一円・一円半 二日より九日迄 〜 壽百貨店」
掲載:昭和16年1月 
松屋の広告
国民服を百貨店で買うとなるとかなりの高額と思われるが、下々はどこで購入したのであろうか。自家製か?

内容
「〜 国民服御誂御奉仕 制定規格甲号乙号  
新様式 御婚礼調度品 時局下の御婚儀に相応しい質実な御支度品各種 二階・三階
松屋 」
掲載:昭和16年3月 
野沢屋の広告
恤兵とは、物品を送って、戦地の兵士を慰問することであり、その展覧会とは、慰問意識の高揚であろう。


内容
「陸軍省後援 陸軍恤兵展覧会 
四日より九日まで 五階 恤兵とは……… これを強く銃後に示して………… ◇パノラマ◇ジオラマ◇写真・図表 その他各種資料展覧 野沢屋」
掲載:昭和16年3月 
野沢屋の広告
陸軍に続いて海軍の恤兵展である。内容は陸軍同様なのであろう。「恤兵!」の三連続で展覧会の趣旨を強烈にアピールしている。


内容
「陸軍省後援 海軍恤兵展 主催東京日日新聞 後援海軍省
二十七日より六月一日まで 五階にて
海の将兵の労苦偲び 恤兵の意義を明示しその精神を昂揚せんとす
恤兵! 恤兵! 恤兵! 〜
横浜野沢屋」
掲載:昭和16年5月 
松屋の広告
ごく普通の夏季の百貨店の広告であるが、よくよく見ると報国債券の販売があったり、慰問品コーナーがあったりと、やはり時世を反映しているのだ。


内容
「報国債券 貯蓄債券 売出(一階)〜 
支那事変 出征勇士へ慰問品(地階)〜 」
掲載:昭和16年7月 
さいか屋の広告
当時は、リアルタイムの情報収集はラジオしかなく、テレビのような存在であった。 しかし、当時の製造・技術水準では、故障が多かったことが文章から伺える。


内容
「□ラジオは国家の声!国民の耳□ 
□責任付〇公ラジオ豊富に取揃 □修理は迅速完全に致します
三階 横須賀さいか屋」
掲載:昭和16年8月 
松屋の広告
デパートでも国債を扱っていた。さすが百貨店。とはいえ、なりふり構わぬ戦費調達である。


内容
「銃後の戦士は国債を持て 予約御申賜ります 一階商品券売場
呉服雑貨特別廉売 十六日より三階にて
単お召と小紋特売 二階 夜具地特売 二階・三階
横浜松屋」
掲載:昭和16年8月 
松屋の広告
今月も債権の売り出しをアピールしている。豆債券とは、 昭和16年7月から売り出された額面1円の戦時特別報国債券のことで、当選確率は三十枚で一枚という高率であった。


内容
「決算後掘出し物 二日より三階にて
大巾値下げに依り 呉服雑貨徳用品を棚さらえ奉仕提供
挙って勝利へ! 建設へ! 豆債権売出中(一階商品券売場)
ハンドバッグと晴雨傘特売 一階
横浜松屋」
掲載:昭和16年9月 
さいか屋の広告
さいか屋は軍港横須賀を代表する百貨店であり、現在も横須賀の地に存続している。この頃には生活必需品の配給制度が行われており、店名の前の「生活用百貨配給店」とは、百貨店も配給所に指定されていたことを表しているのであろう。


内容
「五日ヨリ九日マデ 手持品一掃よりどく市 五階
又と得難洋服地を始め呉服雑貨をさらけ出しての大奉仕 ▽紳士既製服とオーバー ▽夫人子供既製服とオーバー ▽婦人子供服地 ▽サージ大巾尺、五九 ▽ポーラ大巾尺、四五〜 
生活用百貨配給店 横須賀 さいか屋」
掲載:昭和16年9月 
野澤屋の広告
航空日とは、明治43年の日本初動力飛行から30周年を記念して昭和15年9月28日に制定されたもので、翌年から9月20日になった。面白いのは図案応用作品展で、航空機のイラストを使った服地やネクタイとはどういうものか、現代にも通じる企画である。錚々たる後援である。


内容
「二十日航空日 航空写真展覧会 十六日より二十一日まで 五階にて
航空を主題に各権威者がカメラにおさめた新作 併せて我国の航空発達経路供覧
航空図案応用作品展示会 全国応募図案により選んだ新生活様式にふさわしい特製品 情報局選定 銘仙 染着尺 婦人服地 ネクタイ ハンドバック 其他
主催 大日本飛行協会 読売新聞社 後援 陸軍省 海軍省 逓信省 文部省 情報局」
掲載:昭和16年9月 
松屋の広告
兵器の写真展ということだが、秘密主義の陸軍がどこまで公開したのか興味がもたれるところである。


内容
「わが兵器陣 写真展   七階 一日より五日まで
世界に冠絶する無敵日本の誇るべき偉力を讃えて……… 
主催・朝日新聞横浜支局 後援・陸軍省報道部」
掲載:昭和16年10月 
野澤屋の広告
学校も時局に応じて報国団としてまとめられ翼賛体制は着実に整えられていった。資源更生品とは女学生による創意工夫によるリサイクル品といった感じであろう。


内容
「呉服雑貨格安品 一日より八日まで 五階 寒さへの必需品を揃え
家庭資源更生品展覧会 主催 神奈川県学校報国団 二日より八日まで 五階 女学生の工夫に成った更生品 〜」
掲載:昭和16年11月 
松屋の広告
野澤屋と同様、呉服雑貨の売出であるが、松屋はここのところ債券販売に力を入れているようだ。


内容
「冬の呉服雑貨特売  一日より九日迄 三階   季節の御支度品を豊富に取揃えて 
一億が債権買って総進軍 債券売場(一階)」
掲載:昭和16年11月 
松屋の広告
松屋は、引き続き債券の広告に広告面を割いている。売出の標語に「一億」とあるが、「進め一億火の玉だ」という国策標語をきっかけに「一億」という言葉が盛んに使われるようになってきた。


内容
「慰問用品 地階  勇戦奮闘の第一戦将士へ感謝の慰問を! 
一億一心国防の完璧を期そう 国債と債券売出し中 一階  一階の必需雑貨 Yシャツ・シャツ・靴下・手袋 ネクタイ・ハンカチーフ・ハンドバッグ」
掲載:昭和16年12月 
野澤屋の広告
「戦い抜こう大東亜戦」とは大政翼賛会の標語であり、曲が付けられレコード化された。 正月らしく横浜市翼賛会文化連盟邦楽部主催による、能や謡曲などの舞台もあった。


内容
「”戦い抜こう大東亜戦” 元旦 二日 三日 休業仕候 〜  」
掲載:昭和17年1月 
松屋の広告
米英との戦いに突入したことがひしひしと感じられる広告である。「時宗の心意気」、元寇を戦った北条時宗を持ち出し、元寇にも勝る国難であることを訴えているであろう。


内容
「謹賀聖戦大勝之新春
一億が時宗の心意気 戦い抜こう大東亜戦〜
大東亜戦遂行躍進建設途上の新春を迎え益々配給報国に御奉公仕りますれば何卒倍旧の御愛顧賜りたく願い上げます〜 」
掲載:昭和17年1月 
壽百貨店の広告
「戦い抜こう大東亜戦」の標語は3百貨店が使用しているが、当局からの指示なのか、自主的なのか。野澤屋、松屋は4日から営業だが、壽百貨店は3日から営業である。


内容
「戦い抜こう大東亜戦
配給報国 必需百貨 
正月三日より 必需百貨取揃え御用命お待ち申し上げます  次の休日 九日(金)
春の婚礼衣装 三日より三階にて  実用呉服雑貨 三日より五階にて
横浜壽百貨店」
掲載:昭和17年1月 
野澤屋の広告
新春から、海事思想、戦意高揚の企画が行われるとは、世はまさに戦時体制下にあるということ。


内容
「時局海軍展覧会(十三日より二十一日まで 五階ホールにて)
燦たり我が海軍!太平洋上の戦果を誰か感謝せぬ者があろうか!見よ我が偉容を 米英の現勢を! 
主催 海軍協会神奈川県支部 後援 横須賀鎮守府 海軍協会本部
横浜 野澤屋」
掲載:昭和17年1月 
さいか屋の広告
第一回とあるようにさいか屋でも売り出されるようになった。軍港都市の百貨店にしては遅すぎる感じがする。大胆な爆弾のイラストを使ってアピール度の高い広告となっている。


内容
「第一回戦時債券 二月二十一日―三月二十日 報国 貯蓄債券 売出し 先ず債券を買って感謝
さいか屋 一階」
掲載:昭和17年3月 
壽百貨店の広告
慰問品コーナーはあいかわらずである。あmだ、桜の花びらを散らす余裕があるのか。しかし、コスモスの様な花びらである。


内容
「春の…… 御召と帯地 三階に於て陳列
皇軍慰問品 地階にて 
横浜 壽百貨店」
掲載:昭和17年3月 
さいか屋の広告
重要な軍港及び要塞地帯である横須賀市は、当然防諜が強化されていたことは想像できる。記載はないが、たぶんこの期間は防諜週間なのであろう。


内容
「3月30日―4月6日 防諜展覧会 五階
主催 要地防諜連盟
後援 横須賀鎮守府 東京湾要塞司令部 横須賀憲兵分隊 横須賀警察署
一寸待て!スパイの目がある耳がある
横須賀 さいか屋」
掲載:昭和17年3月 
野澤屋の広告
大東亜戦初戦における陸軍のパレンバン空挺作戦や海軍のメナド攻略作戦などの落下傘部隊の活躍を受けた催しである。


内容
「落下傘部隊を讃える会 5階
27日 軍事講演 28日 映画 29日 愛国歌謡 歌唱指導
落下傘部隊写真展 22日より29日まで
主催 読売新聞社 後援 大日本飛行協会 陸軍省 海軍省   横浜 野澤屋」
掲載:昭和17年3月 
さいか屋の広告
海軍おひざ元の百貨店らしい企画であるが、連合軍との海戦での戦利品とは一体何であろう。例えばハワイ海戦で戦利品があったとは思われない…。また、百貨店ではなく、「生活用百貨配給店」となっているのが、時代である。あらゆる物資不足ににより、自由な商売ができなくなっているのである。


内容
「開戦一周年記念 主催後援 海軍協会横須賀支部 横須賀鎮守府・横須賀市
大東亜海戦々利品展覧会 五階 12月3日―9日
感謝の慰問品を送りましょう 一階
生活用百貨配給店 さいか屋 横須賀市東郷通り」
掲載:昭和17年12月 
松屋の広告
大東亜戦争開戦2年目を迎える新年の広告として、分り易いコピーである。17年1月時と同様に海軍旗と日章旗が掲げられているが、海軍旗は広く軍を表しているのであろう。


内容
「新年初売出し さあ二年目も勝ち抜くぞ!!
元旦より四日まで休業仕候
五日より全店
横浜 松屋」
掲載:昭和18年1月 
さいか屋の広告
軍港のおひざ元百貨店だけあって、格調高い文章で、戦時下新春の祝辞を述べている。普通の世であれば、かきいれどきの日曜を休業にするとは考えられないが、もはや休日に買い物という社会情勢ではないのであろう。


内容
「大東亜戦下 輝く第二春を迎え  
謹みて皇国の彌栄を壽ぎ奉り 愈々銃後商業報国使命の達成を誓い、必勝を期し申候
一日 二日 三日 休業 四日より初営業仕り候
◇定休日を日曜日週休に改めました 一月の定休日 十一日・十八日・二十五日
生活用百貨配給店 さいか屋 横須賀市東郷通り」
掲載:昭和18年1月 
野澤屋の広告
新春に相応しいデザインの広告。愛国百人一首から藤原俊成の歌をチョイスしている。 意味は、「君が代が何時までも続くことを、千代と限つては申すまい、天の戸をいで入る月日が、限りなく永久であるやうに、大君の御代は何時までも尽きるときがないから」というもので、皇国史観の全盛期である。また、御婚礼衣装の頭にある簡易に注目してほしい。贅沢は敵だという質素倹約を押し付けられた世相が表れている。


内容
「君か代は 千代とも さゝし 天の戸や いつる月日の かきりなければ   必勝の誓新たに
五日より 新春簡易御婚礼衣装 二階にて
防寒用雑貨取揃
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年1月 
壽百貨店の広告
畏まった正月だからであろうか、挨拶文が文語調であり、時代を感じさせる。また、新春早々から慰問品コーナーをアピールしている。


内容
「賀正  本年も不相変御引立の程を
正月三日より *御婚礼衣装 三階 *皇軍慰問品 地階
横浜伊勢佐木町 壽百貨店」
掲載:昭和18年1月 
松喜屋の広告
松喜屋とは、伊勢佐木町に大正8年に呉服店として創業。屋上にあった赤灯台から、通称「赤トーダイ」と呼ばれた。 戦後、ほていやからユニーと変遷したが、老朽化により平成25年に閉店。
配給報国の文字が並び、時局に相応しい実用呉服とか、簡易御婚礼衣装という文言に、華美を廃し質素倹約を旨とする時世が反映されている。


内容
「配給報国  新年初売り 輝く新春を迎え 益々配給報国に精進努力仕りますれば 本年も不相変御引立の称□頼申上ます
正月三日より 時局に相応しい実用呉服 新春 簡易御婚礼衣装 二階  元旦、二日休業仕候
赤トーダイ 松喜屋 横浜伊勢佐木町」
掲載:昭和18年1月 
松屋の広告
被服更生とは仕立直しのことである。着なくなった着物からシャツを作ったり、今でいうリメイクのこと。質素倹約の時世柄盛んに行われたが、間に合わせ運動と言うのも同様の主旨であろう。婦人防護服や婦人会服などからは戦時下であることを嫌でも認識させられる。


内容
「被服更生展覧会 会場にて更生の御用承ります 二十二日より二十九日迄……七階
着物類の染替 織物・浴衣・帯 毛織物の更生 婦人防護服の仕立 婦人会服の仕立
後援 横浜市 大政翼賛会・市・支部 大日本婦人会・市・支部 衣料更生報国会
間に合わせ運動  横浜 松屋」
掲載:昭和18年1月 
松屋の広告
とってもシンプルな広告。イラストは桃の節句に因んで桃の花であろう。慰問用品は欠かせない売りになっている。前月もだが、横書き文字が左から右になっている。敵性語が排除されていた時代であるが、これは西洋化になるのではないのか。


内容
「特選雛人形 七階 慰問用品 六階  横浜 松屋」
掲載:昭和18年2月 
壽百貨店の広告
松屋と比べて、これが百貨店の広告である。雛人形と新入学用品のかきいれどきである。この広告を見る限りまだ社会に余裕がありそうだ。


内容
「雛人形 開催中…六階   御入学 御進級に 壽の新学期用品
通学服装品 二階  文具 ランドセル 五階
横浜 壽百貨店」
掲載:昭和18年2月 
松屋の広告
松屋のこの広告、当局への忖度か、はたまたこれが売れ筋なのか。慰問袋一筋一押しである。


内容
「戦線へ 手紙と慰問袋は絶やさずに  慰問用品 六階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年2月 
松屋の広告
桜咲く入学の季節。入学や新学期用品販売できる百貨店の書き入れ時である。シンプルだが内容的には通常であり、非常時の切迫感は感じられない。


内容
「新学期用品 帽子…………四階 文房具・靴・鞄…五階 学習用家具……七階
第七回戦時 報告債券 貯蓄債券 一階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年3月 
野澤屋の広告
野澤屋は、戦争協力企画を前面に出しており、松屋とは対照的である。


内容
「銃後奉公強化展覧会 23日―28日ー五階 主催 軍事保護院 神奈川県 恩賜財団 軍事援護会神奈川県支部
新学期用品は 運動具 一階 文房具 四階
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年3月 
松屋の広告
防空用品各種取揃とあるが、防空用品とは、少し拾ってみると、防空用暗幕や、防空用砂袋、バケツ、電灯カバー、火タタキ、サイレン、拍子木、消防頭巾、鉄兜、消火器、水槽など様々なものがあった。


内容
「防空用品各種取揃  学用品取揃 五階 お子様乗物 六階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年4月 
野澤屋の広告
あらゆる物資不足のご時世。公正公平な物資の分配には、正しい計量器が不可欠となる。内容は、主要食料品の量目や台所容器の容量の表示、秤の無料検査、ガス電気メーターの読み方、計量相談などであった。 なお、「五月人形」の文字が誤植である。


内容
「消費規制 計量展示会 8日―14日― 五階 主催 神奈川県、横浜市
特選 五人月形陳列 十七日より 五階   横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年4月 
松屋の広告
戦費をかき集めるために百貨店でも国債や債券が買えた時代であり、広告にもしばしば掲載された。


内容
「第8回 大東亜戦争 国債・債券売出し 20日より5月4日迄
初夏の婦人子供帽子 四階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年4月 
野澤屋の広告
防空用品の売出は松屋と同じであり、それだけ空襲に対する危機感が迫っていたことが推察される。はたまた当局からの指示もあり得る。


内容
「特撰五月人形陳列 五月二日まで開催……五階
慰問品売場……一階 防空用品売り場 一階
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年4月 
松屋の広告
健民運動とは、「健民健兵」のスローガンのもと、5月1日から一定期間をもうけて全国一斉に展開された運動で、健康増進に関わる様々な事業が実施された。


内容
「健民運動 乳幼児健康相談及育児指導 三階
防空用品 六階 一日より十日迄
横浜 松屋」
掲載:昭和18年5月 
小美屋の広告
時節柄、売出が慰問品や防空用品のみということだが、余白が目立つ寂しい広告である。もう少し工夫があっても良かった。


内容
「慰問品 防空洋品 売場
毎月曜休日 川崎 小美屋」
掲載:昭和18年5月 
小美屋の広告
こちらも慰問品だが、広告面を有効に利用している。この位はしないと、売れるものも売れない。


内容
「戦線の勇士に心をこめた 慰問袋を送りましょう! 一階
 横浜 壽百貨店」
掲載:昭和18年5月 
野澤屋の広告
海軍記念日に合わせた種々の企画。具体の内容は不明だが、海軍思想の普及、戦意高揚目的であることは言うまでもない。


内容
「第38回海軍記念日 講演と音楽と映画の会 二十六、二十七、二日間 五階
主催 読売新聞社、海軍協会神奈川県支部 後援 情報局、海軍協会〜
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年5月 
野澤屋の広告
慰問品売場は定番となったが、やはり百貨店、季節もの広告が賑やかである。


内容
「戦線へ 慰問品売場 一階
特撰 岐阜提灯と大内行灯 うちわと扇子陳列 籐椅子と冷蔵庫と簾〜
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年6月 
野澤屋の広告
同月2回目の広告であり、内容は同じながら勿論表現を変えている。


内容
「戦線の労苦に感謝して慰問品を 一階
夏家具取揃え 開催中―六階〜
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年6月 
野澤屋の広告
催事盛沢山。特に健民報国写真展とは何か。推測するしかないが、報国活動に勤しむ国民の姿を写した写真の展覧会か?


内容
「健民報国写真展覧会 二十六日二十五日 五階 主催 日本写真文化協会 後援 陸軍省、厚生省、情報局、読売新聞社
空の護りに備えて 防空用品 一階
海の記念日 小国民海事作品展 二十日二十五日 五階 主催 日本海運報国会 後援 海務院・情報局    横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年7月 
松屋の広告
松屋も夏用品をメインに売出しているので、社会情勢は小康状態か。しかし、慰問品売場だけは継続している。


内容
「小千谷縮と絹上布 二階  皇軍慰問用品各種 六階  硝子製品と冷蔵庫 五階  旅行用鞄取揃 五階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年7月 
松屋の広告
健康ではなく、鍛錬である。お国のためには強い体が必要なのである、戦場でも銃後でも頑強な身体でなければ戦えない。国を挙げて精神、肉体の鍛錬が要求された。しかし、鍛錬用品各種とは一体どのような商品なのであろう。


内容
「鍛錬用品 各種 六階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年8月 
松屋の広告
同月2回目の広告。衣料更生は、贅沢は敵だ、の時代、節約の観点から家庭で行うものと思っていた。デパートで更生を頼むと割高になると思われるが、どれだけ需要があったのか。富裕層狙いか。


内容
「衣料更生承リ 三階
小紋染 無地染 洗張 御仕立替 横浜 松屋」
掲載:昭和18年8月 
野澤屋の広告
野澤屋こそ戦時の百貨店。ここまで軍部に協力している。


内容
「つづけ空の決戦場展 飛行兵志願相談所開設 毎日 午前十時―午後四時迄 
主催 大日本飛行協会 後援 情報局 十二日―二十二日―五階
北辺陣中スケッチ展 十二日から二十二日迄
  戦線の労苦に感謝して慰問品を 一階
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年8月 
松屋の広告
戦中は戦時統合といって、国策に協力するため、いや、させるためにあらゆる業種で統合が進められたが、漫画業界も例外でなく、日本漫画奉公会が昭和18年5月に設立された。名前からして漫画でお国に奉公するための会である。


内容
「戦力増強 決戦漫画展  十七日ヨリ二十二日迄 七階
主催 日本漫画奉公会 読売新聞社 後援 陸軍省・情報局
横浜 松屋」
掲載:昭和18年8月 
壽百貨店の広告
リュックサックの売出だが、そのコピーが面白い。非常持出とは空襲だろうし、鍛錬用とはハイキングである。


内容
「非常持出用に 鍛錬用に リュックサック
横浜 壽百貨店」
掲載:昭和18年8月 
松屋の広告
同月2回目の広告である。国債売出は第十回目であり大蔵省も広告を出している。衣料更生は、前回広告のメインであったが、三階に常設売場があるようだ。


内容
「大東亜戦争 国債・債券売出し 九月六日迄…一階国債売場
衣料更生承リ 三階更生売場
横浜 松屋」
掲載:昭和18年8月 
野澤屋の広告
当局の指示か?野澤屋も同月2回目に国債売出広告を出している。しかし、松屋と違って工夫が見られる。

内容
「”国債を買って一機一艦でも” 目下国債・債券売出中 一階
防空用品 一階
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年8月 
松屋の広告
慰問の手紙と慰問袋のコーナーは6階に常設であることが伺える。百貨店の売の一つなのであろう。また、郵便貯金増強期間の告知があるが、ここで購入できたのであろうか。献納広告か。

内容
「将兵へ感謝の慰問文と慰問袋を送りましょう! 六階
衣料更生賜り………三階
米英撃滅郵便貯金増強期間
横浜 松屋」
掲載:昭和18年9月 
野澤屋の広告
百貨店で更生靴の展示会とは、物資節約の時代を象徴する出来事である。

内容
「更生靴展示会
主催 更生靴工業組合 後援 大政翼賛会横浜市支部  八日―十二日 五階
古靴二足を一足に修理更生して……展示と実演
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年9月 
壽百貨店の広告
松屋は更生靴、壽百貨店は和服更生。靴も和服も新品の時代は終わり、再生品の時代に突入している。物資不足の状況が実感できる。

内容
「和服更生承り
三階に於て
横浜 壽百貨店」
掲載:昭和18年9月 
野澤屋の広告
航空日とは、航空に関する思想や知識の普及を計るために昭和15年に定められ、毎年9月20日である。現在、空の日に改称され、航空に関するさまざまな企画が行われている。

内容
「第四回航空日 荒鷲を讃える会
主催 読売新聞社 大日本飛行協会  後援 陸軍省情報局
十八日十九日 五階 講演 映画 音楽
横浜 野澤屋」
掲載:昭和18年9月 
松屋の広告
注目すべきは戦闘帽である。昭和15年に国民服が制定されたが、帽子は陸軍の昭和13年制略帽もOKであり、通称戦闘帽と呼ばれていた。これが一般向けに販売されたのだろう。

内容
「秋向 実用呉服 二階
戦闘帽 一階
九月二十日 航空日
横浜 松屋」
掲載:昭和18年9月 
松屋の広告
三階は衣料更生の受付になっていたが、いよいよ更生売場になったようである。また、簡素な婚礼が奨励されているご時世だが、どんな式服なのか興味あるところである。

内容
「十月一日より 戦時下の簡易婚礼式服 於二階
衣料品更生 皮革鞄類更生 三階更生売場
横浜 松屋」
掲載:昭和18年10月 
野澤屋の広告
サブタイトルの米英罪悪撃滅譜とは過激な文言であるが、どういう写真展なのであろう?主催は華中鉄道株式会社。中支鉄道とも言われた日中合弁の国策会社で、日本が占領した華中地域の鉄道会社である。

内容
「中支那事情写真展  中支那米英罪悪撃滅譜  九日より十五日まで 五階にて
主催 華中鉄道設□有限公司  後援 大政翼賛会県市支部
野澤屋」
掲載:昭和18年10月 
松屋の広告
主婦の友や婦人倶楽部などの婦人誌では、毎度特集される戦時下の婦人服、当然、質素倹約で活動しやすいものが求められるわけだが、百貨店ではどのような服を販売するのか…。

内容
「退蔵衣料を活用した……四階
戦時下の婦人服  決戦型婦人服 簡易婚礼式服 二階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年10月 
壽百貨店の広告
壽百貨店は何らか必ずイラストを入れて来る。さすがである。今回は慰問袋のイラストだが、注意して見て下さい。中に入れる慰問品にお人形が含まれている。百貨店で慰問用に人形を販売しているのだろうか。

内容
「兵隊さんへ慰問袋を! (一階)   防空用品 (四階)
横浜 壽百貨店」
掲載:昭和18年10月 
松屋の広告
百貨店で国債や債券を購入するのは常識のご時世。ちょうど10月は大蔵省じきじきに購入促進の広告を出しており、強化月間なのであろうか。

内容
「大東亜戦争 国債・債券売り出し  十一月五日迄 一階
お子様お祝い用  友禅と結帯 二階
横浜 松屋」
掲載:昭和18年10月 
白木屋の広告
コレド日本橋の場所にあった老舗百貨店。戦時統制下の苦しい中での呉服の売出である。戦時に対応した内容になっているが、簡素な銘仙となどのようなもの。また、戦時衣陳列とあるが、これも興味深いものである。人形にて供覧とはマネキンの言葉を憚ったのであろう。

内容
「戦時にふさわしい 簡素 御婚礼用呉服 式服類、小紋、御召、銘仙、袋帯、名古屋帯、半衿、小物など、御支度品を取揃えました。何卒御一覧の程を願上げます。  三階
活動着として好適 縞のめいせん 縞糸織 縞銘仙 各種 戦時衣陳列(人形にて供覧) お子様お祝い用  友禅と結帯 二階
東京都 白木屋 日本橋」
掲載:昭和18年12月 
野澤屋の広告
昭和19年元旦の新聞広告であるが、シンプル。内容は、正月の三ヶ日はお休みを伝える広告。しかし、戦意高揚は忘れないところが時世である。

内容
「勝利の年へ
一億挙り突撃だ!  一日 二日 三日(月)休業
横浜 野澤屋」
掲載:昭和19年1月 
松屋の広告
こちらも元旦の広告。野澤屋に負けず劣らずの内容。米英との戦争も丸二年を経過し、短期決戦の目論見は儚く崩れたが、広告では意気軒高である。

内容
「決死増産 今年こそ 勝利へ!
元旦 二日 三日 休館仕候
横浜 松屋」
掲載:昭和19年1月 
野澤屋の広告
新春4日の広告。裏絹とは、着物の裏地に使われる薄い絹布であり、見えない部分である。この売り出しということはまだ社会の余裕が感じられる。

内容
「実用裏絹  白羽二重 羽二重羽裏 時絹胴裏 白絹胴裏 紅絹胴裏 四日より 二階    新春 簡易御婚礼衣装 二階   野澤屋」
掲載:昭和19年1月 
白木屋の広告
前月に続く広告。3階で開催中の簡素婚礼呉服も継続企画である。

内容
「戦時下にふさわしき 簡素御婚礼お支度呉服  三階呉服部
式服類一切、丸帯、袋帯、名古屋帯 小紋、糸織、半衿、帯揚小物類など取そろえてございます。御一覧のほどを。
◇春の縫名古屋帯陳列 ◇真綿防寒背当て 三円二十五銭 ◇布団皮(名仙、染生地取揃) ◇活動的な縞の糸織陳列
白木屋 東京都日本橋」
掲載:昭和19年1月 
松屋の広告
あらためて慰問の広告である。百貨店において慰問は継続的に打ち出している目玉商品であるが、この文言を見ると低調になってきたのであろうか。

内容
「絶やすな 忘るな 勇士への慰問
横浜 松屋」
掲載:昭和19年2月 
松屋の広告
同月の松屋の広告であるが、いよいよ社会は末期体制の入口に入ってきたようだ、百貨店を軍が使用することになったようである。目的は軍需生産なのであろうか。

内容
「謹告
今般売場供出準備の爲二月十七日より暫時休業仕候 横浜 松屋」
掲載:昭和19年2月 
松屋の広告
格調高い文語文である。戦争に翻弄される民間の悲哀を感じる。

内容
「謹告
過般来店舗供出に付売場整備の爲永らく御不便相掛け候段重々御詫び申上候 今般壽百貨店と合併仕り同店、店舗にて近日開店可仕候間何卒暫時御猶予の程奉懇願候
横浜 松屋」
掲載:昭和19年3月 


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