下瀬火薬製造所とは、名前の通り下瀬火薬を製造する工場で、滝野川にあった。明治33年1月に開庁し、その後の組織変遷を経て、昭和5年に舞鶴に移転、第三海軍火薬廠となり、終戦を迎えた。 これらの標石は工場敷地から北へ向かう道路脇に残っているもので、どうやらアクセス軍道の境界標石ではないかと考えている。逆に敷地の周囲には標石を確認できなかった。
下瀬火薬製造所とは、名前の通り下瀬火薬を製造する工場で、滝野川にあった。明治33年1月に開庁し、その後の組織変遷を経て、昭和5年に舞鶴に移転、第三海軍火薬廠となり、終戦を迎えた。 これらの標石は工場敷地から北へ向かう道路脇に残っているもので、どうやらアクセス軍道の境界標石ではないかと考えている。逆に敷地の周囲には標石を確認できなかった。
①海軍まで読める
②微かに読める
③海軍用まで
④海軍用地がくっきり
⑤刻字が彫りこまれた
現在の状況。この先道路の左手に標石が残る。