日清戦争の勝利を記念して明治31年7月に建造された燈明台。詳細については、付属の説明板を転載。下は竣功時の写真。
所在:深川公園(江東区)
(説明板)
「江東区指定有形文化財(建造物) 石造燈明台 明治三一年在銘 一基 富岡一−一四 深川公園
日清戦争(一八九四〜九五)の勝利を記念して、深川不動堂の境内南東地に建てられました。明治二八年一二月に起工し、三一年七月に竣工しました。高さ八三九・四cm、最大幅三七三・四cmの大きな燈明台で、内部は煉瓦造り、外壁には安山岩の石板が貼られています。設計及び監督技師の佐立七次郎(一八五六〜一九二二)は、工部大学校造家学科(現東京大学工学部)の第一期生でジョサイア・コンドルに師事した日本近代建築家の1人です。成田山新勝寺にもほぼ同形状の燈明台(明治二七年竣工)が現存します。
外壁には奉納者・奉納団体が刻まれた石板が三五九点貼られています。奉納者には「団菊左時代」を築いた九世市川団十郎、五世尾上菊五郎、初世市川左団次をはじめとする歌舞伎役者や常磐津などの芸能界、土木実業組合や東京石工組合、東京株式取引所などの実業界、また魚河岸、船頭、吉原・洲崎の遊郭や割烹料理屋などがみられ、深川不動堂が幅広い人々によって信仰されていたことがうかがえます。竣功当初は上部に八角の火袋がありましたが関東大震災により倒壊しました。平成一九年度に区指定有形文化財に指定され、平成二十年に現在地に移設されました。
平成二十一年九月 江東区教育委員会」