明治35年に造られた乃木大将の邸宅である。大正元年9月13日の御殉死後、遺言で東京市に寄贈。現在は港区が管理し、区の文化財に指定されている。1階部分(見た目2階)に回廊が付けられ建物内を見学できるようになっている。詳細については説明板を転載。
隣接して乃木公園、乃木神社がある。
「説明板 東京都港区指定文化財 有形文化財 旧乃木邸及び馬小屋
旧乃木邸は、明治三十五年(一九〇二)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(一九一二)九月十三日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は一六八u、木造平屋建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。
馬小屋は、平屋建、日本瓦で、邸宅が新築される以前、明治二十二年(一八八九)に建てられた。間口約十二・五m、奥行約四・五mの細長い建物は、四つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造で立派だ、という評判のあったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。
昭和六十年十月二十八日 東京都港区教育委員会
「説明板 旧乃木邸
旧乃木邸は、日清・日露の両戦役に従事し、明治天皇崩御と共に殉死された陸軍大将乃木希典の邸宅です。この邸宅は、明治35年(1902年)に新築されたものです。
本館は、木造の日本瓦葺きで、正面玄関から見ると全体が2階建てに見えますが、傾斜した地形が巧みに利用され、実際は半地下も含め3階建ての構造となっています。<
建築面積が168平方メートルの建物です。Mbr>
半地下には、台所・茶の間・納戸・浴室・書生部屋・女中部屋があり、1階は、応接室・客室・次室・来賓室・大将居室・夫人居室があります。屋根裏には、2人の令息の居室と物置・書庫が造られています。
旧乃木邸と馬小屋は、大正元年9月13日乃木夫妻殉死後、遺言で東京市に寄付され、現在は港区が管理しています。
また、夫妻の命日に合わせ毎年9月12日・13日に邸内を一般公開(無料)しています。
高橋是清翁記念公園管理事務所」