軍艦山城之碑(ヴェルニー公園)

軍事遺物
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ヴェルニー公園に設置されている。軍艦山城之碑建立委員会が平成7年10月25日建立。
碑面上部3分の1は黒御影石で「軍艦山城之碑」と大きく文字が刻まれ、下3分の2は御影石で中央に海軍の記章である錨と桜マークと艦影写真及び軍艦山城の艦歴と戦歴が刻まれた立派な石碑である。
碑高190p、幅200p、厚さ40p、台座80p。
所在:ヴェルニー公園(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「軍艦山城之碑
 軍艦山城の艦歴
  起工 大正二年十一月二十日 横須賀海軍工廠
  進水 大正四年十一月三日  右に同じ
  竣工 大正六年三月二十一日 右に同じ
  数次の改装工事に依り次の通りの装備となる
  基準排水量 三四、七〇〇トン
  全長 二一二.七五メートル
  最大幅 三三.二〇メートル
  主機関 七五、〇〇〇馬力
  速力 二四.五ノット
  主砲 三十六センチ十二門
  副砲 十五センチ十四門
  高角砲 十二.七センチ八門
  機銃 二十五ミリ三連装二基 二連装十七基 二十五ミリ単装十基
   *機銃増設のため副砲二門撤去 昭和十九年七月
  水上偵察機 三機
  カタパルト 一機
  測距儀 十米測距儀 一基

軍艦山城の戦歴
 軍艦山城は横須賀鎮守府管下最初の超弩級軍艦として平時の連合艦隊において優れた成績を挙げ太平洋戦争勃発するや各地に転戦し、戦局の変化により悲惨な運命となった昭和十九年十月捷第一号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリガオ海峡に突入し、数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり又魚雷艇及び駆逐艦の魚雷攻撃を受け、大破し沈没寸前まで前部砲塔からは間断のない砲撃が続けられたので有りましたが、悲愴にも力つきた。
山城は乗員千六百余名と共にスリガオ海峡の海底深く沈んでいった。時に昭和十九年十月二十五日午前四時十九分。
ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する。 謹書
平成七年十月二十五日
軍艦山城之碑建立委員会」

碑裏面:
「艦山城戦没者芳名
  戦没者芳名の記名は戦没当時の出身県別に刻名して有ります・・・・
  戦死者不詳 三十三名 合計一、六二四名」