霊光無尽・忠魂碑(腰越) |
軍事遺物 |
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腰越地区の戦没者慰霊碑であり、御影石の石柱で囲まれた一郭に慰霊碑と合祀者名碑及び碑誌の3基が建立されている。
慰霊碑は、もともと戦前に忠魂碑として建てられていたのを戦後の昭和25年8月、各戦役の戦没者を合祀した慰霊碑として再建したものである。経緯の詳細は碑誌に記されており後述する。 所在:腰越(鎌倉市) 慰霊碑全高:約440p 刻字:「霊光無尽 大覺寺門跡大僧正全亘(花押)」 なお、裏面に「忠魂碑」、側面に「陸軍大将植田謙吉書」と忠魂碑として建立された際の刻字も残っている。 |
裏面「忠魂碑」刻字 |
慰霊碑右手に平成8年3月に建立された。慰霊碑に合祀されている324名の氏名が刻まれている。 氏名碑全高:約244p、幅222cm、厚さ27.5cm 刻字(正面):「霊光無盡塔合祀者氏名」と合祀者324人の氏名が7段にわたって刻まれている。 (裏面)「平成八年三月吉日 明照会」 合祀者の中には日本のクラシック・バレエ育ての親と言われる「エリアナ・パヴロバ」の名がある。エリアナは昭和2年、七里ガ浜に日本初のバレエ稽古場を設け、多くのバレリーナを育てた。その後、日本に帰化し、昭和16年慰問先の南京で死去し、軍属の戦病死とされた。 |
合祀者氏名碑と同時に建立された碑誌。慰霊碑建立の経緯が記されている。 碑全高:約136p、最大幅62cm、厚さ18cm 刻字: (正面) 「この塔は、戦没者慰霊のため、地区の融資や 遺家族が相談し、多くの住民の協力を得て、 腰越小学校の一隅に放置されていいた忠魂碑を 昭和二十五年八月ここに移し霊光無盡塔として 再建したものです。 日清・日露の戦役、第一次世界大戦、太平洋戦争 などで戦没された当地出身者並びに当地にゆかりのある者を合祀し、霊光の無盡であること を祈念し、その氏名を銅板に刻み台座下の 石室に奉安してあります。」 (裏面)「腰越地区遺族会 明照会 会長 亀井勝利記 拒蜴R石材店 大山民治 平成八年三月吉日建之」 |