忠魂碑(米海軍横須賀基地) |
軍事遺物 |
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第一次世界大戦において、日本は日英同盟の関係で青島(清国:チンタオ)のドイツ軍に宣戦布告した。この青島攻略戦に参加した海軍重砲隊の戦死者の忠魂碑である。 海軍重砲隊は正木中佐(後中将)を指揮官として大正3年9月に砲術学校で編成され戦地へ出動。上陸後、総勢490余名の部隊は、陸軍部隊と共に攻撃を行い、11月7日青島を陥落させた。銃砲隊も9名の戦死者を出した。戦死者は当地にて埋葬、招魂祭を行った。 この碑は、帰国後の大正3年12月1日にゆかりの砲術学校裏手の山腹に建立された。 蛇足だが、正木中佐は爆沈の際の軍艦「河内」の艦長である。 碑正面には「忠魂碑」の文字、側面右手に1「大正三年十二月一日正木海軍重砲隊指揮官以下隊員建之」、左手に戦死者9名の階級、氏名が、裏面に「小方村長 監督 牧野賞松 石工 室尾又吉」と刻まれている。 戦死者の氏名は次のとおり「大正三年十月二十日戰死 海軍二等水兵 山村與吉 大正三年十一月三日戰死 海軍三等兵曹 中嶋久治 海軍三等兵曹 照井弥助 海軍三等兵曹 吉田子之助 海軍1等水兵 鈴木鶴治 海軍1等水兵 桑野静 海軍1等水兵 竹内染二 海軍1等水兵 近松茂 海軍1等水兵 平嶋清」 |