駆逐艦村雨慰霊碑(鴨居) |
軍事遺物 |
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昭和12年1月7日の竣工後、数々の戦闘に参加し、昭和18年3月5日、コロンバンガラ島クラ湾夜戦にて沈没した駆逐艦「村雨」を慰霊する碑。 浦賀水道を望む観音寺址に、昭和57年3月5日建立。赤御影石の主碑の両脇に黒御影石の碑が付属したモダンな碑である。碑の入口にあたる道角には目印のように駆逐艦村雨と刻まれた石柱が建てられている。なお、同海戦で沈没した「峯雲」の慰霊碑が満昌寺に存在し、同デザインの碑である。 碑高202cm、全幅363cm、厚さ18cm、基壇37cm 所在:鴨居(横須賀市) (刻字) 中央碑正面: 「 駆逐艦 村雨 大東亜戦争に於て 純粋に日本のために 青春を捧げて 戦歿した戦友を偲び 祖国愛と 平和への願いをこめて この慰霊碑を建立する 昭和五十七年三月五日 村雨会会長 鹿山 譽」 右碑正面: 「駆逐艦村雨戰歴 昭和十二年一月七日 大阪藤永田造船所に於て竣工 第二駆逐隊を編成 昭和十三年八月ー十一月 支那事変に参加、呉淞敵前上陸作戰 昭和十六年十二月八日 大東亜戰争に参加 昭和十六年十二月十日 比島ビガン急襲上陸作戰 戰死者五名 昭和十六年十二月二十二日 比島リンガエン上陸作戰 昭和十七年一月 ボルネオ島タラカンバリクパパン攻略作戰 昭和十七年二月二十七日 スラバヤ沖海戰、感状授與 昭和十七年三月一日 ジャバ島スラバヤ攻略作戰 昭和十七年四月 比島セブ、コダバト攻略作戰 昭和十七年六月五日 ミッドウエー海戰 同七月〜八月 印度洋通商破壊作戰 同八月〜十八年一月 ガダルカナル島奪回増援作戰 昭和十七年九月十九日 サンタクルーズ諸島スデニ島特別奇襲攻撃 昭和十七年十月十七日 ガ島飛行場砲撃 昭和十七年十一月十二日 第三次ソロモン海戰 昭和十七年十二月十八日 ニューギニヤ島ウエワク攻略作戰 昭和十八年三月五日 コロンバンガラ島クラ湾 夜戦に於て敵巡洋艦三隻、駆逐艦三隻 と交戰、沈没 戰死者百拾四名。 昭和五十七年三月五日 駆逐艦村雨会」 左碑正面: 「 村雨戦歿者名簿碑 北海道(8名) 青森県(2名) 秋田県(3名) 岩手県(10名) 宮城県(5名) 福島県(12名) 茨城県(7名) 栃木県(4名) 群馬県(8名) 埼玉県(12名) 千葉県(7名) 東京都(6名) 神奈川県(4名) 静岡県(10名) 山梨県(6名) 長野県(13名) 愛知県(1名) 大阪府(1名) 村雨関係歿故者」 右碑裏面: 「発起人 駆逐艦村雨会会員一同 協賛者御芳名(順不同) 駆逐艦村雨戦歿者遺族一同 同 同 関係歿故者遺族一同 海軍兵學校第六十五期会有志一同 同 第六十八期会有志一同 同 第七十一期会有志一同 同 第七十三期会有志一同 同 第七十四期会有志一同 同 第七十五期会有志一同 同 第七十六期会有志一同 同 第七十七期会有志一同 同江田島本校 第五〇五、五〇七分隊 第七十三、四、五期有志一同 同大原分校 第二〇七、二〇九分隊 第七十四、五、六期有志一同 同大原分校 第一〇五分隊 第七十五、六、七期有志一同 海軍機関学校第四十六期会有志一同 徳島中学校昭八会有志一同 横浜工事株式会社社員有志一同 横浜工事株式会社 五洋建設株式会社横浜支店 高田石材株式会社 株式会社サン・マーブル 昭和五十七年三月五日 高田石材株式会社謹製」 左碑裏面: 「協賛者御芳名 (82名の氏名)」 <入口碑> 碑高246cm、幅36.5cm、厚さ25cm、台石34cm、基壇55cm (刻字) 碑正面:「駆逐艦村雨」 碑裏面:「昭和六十乙 年三月五日建之 埼玉県鉢形鳥塚壽雄」 案内板: 「 「村雨の碑」案内板 駆逐艦「村雨」は太平洋戦争中の昭和十八年三月五日の深夜敵艦の集中砲火をうけソロモン群島にて艦と共に 乗組員一一九名の方々が南の海に散華されました その英霊を慰霊する碑がこの奥裏が水道に面して建てられています 村雨会(矢印)」 | |