故陸軍輜重輸卒村岡善四郎碑(天徳寺)

軍事遺物
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日露戦争に従軍し、鴨 緑江の戦いを皮切りに、旅順攻囲戦、沙河会戦、奉天会戦を戦い抜き、その先、鉄嶺、開原まで進出、休戦命令のわずか1週間前の明治38年9月6日、四方台にて戦死された村岡善四郎さんの慰霊碑。
遺族によって明治38年11月に建立された。
碑高180cm、幅90cm、厚さ15cm
所在:天徳寺(横浜市中区)

(刻字)
碑正面:
「故陸軍輜重輸卒村岡善四郎碑  勲八等」
碑裏面:
「氏ハ明治卅七年二月廿五日横須賀野戰重砲第一聯隊 弾薬大隊第一縦列ニ招集セラレ三月征露ノ途ニ上リ鴨 緑江ヲ第一戰トシテ各城ノ激戰ニ参加シ第三軍ニ編入セラレ 旅順包囲團軍ニ加ハリ同所開城ノ後卅八年二月五日北進シ沙河 奉天鉄嶺開原等ノ大激戰中ハ最モ勇敢ナル行動ヲナ シタリ然ルニ九月六日遂ニ盛京省前四方台ニ於テ死亡セリ享年 二十有四嗚呼
 明治三十八年十一月建設
 施   主 本牧町牛込 村岡瀧藏
                 仝 □け
 葬儀幹事 牛込會
 仝      軍友會
 寄   贈  ・金網圍 扇町 齋藤謹藏
         ・金拾圓 寿町石工 須田銀次郎」