句碑(成就院)

軍事遺物
戻る

成就院の山門手前に建立されている。体裁は句碑であるが、実態は、太平洋戦争の戦死者の慰霊碑である。 昭和23年の建立であるが、その頃は戦没者の慰霊碑建立は困難であり、句碑として建立したもの。小慰霊碑と合わせて26柱の英霊を合祀している。
所在:成就院(横浜市港南区)

刻字 (碑正面)
「猛り鵙  松籟にいま  鎮まりぬ  林火
市村正男 内田正平 内田耕雜 加藤捨五郎 金子磯吉 北見徳次 北見春吉
田三郎 田嘉夫 田中嘉一 田中泰雄 田中次郎  田中幸造 田中政明 根本嘉助 野室宗一 林幾久雄 花園廣義 増田民夫 森尾卓男 保田誠一」
(碑裏面)
「昭和二十三年三月建之  雜色有志一同」
碑高180p、幅80p、厚さ14p 台石高約60p。

小慰霊碑
(碑正面)
「石田幸隆 内田庄次 芝崎三五郎 橋本隆司 山田美久」
(裏面)
「昭和三十三年九月二十一日」
碑高92p、幅42p、厚さ9p。
(句碑の由来碑)
「句碑の由来
 慰霊碑中の二十一名、小慰霊碑五名はいずれも戦死者の氏名である。 句碑「猛り鵙(もず) 松籟にいま 鎮まりぬ」中の 「猛り鵙」は、戦死者をさしていると口伝されている。
句碑建立時の時代背景
 昭和二十三年マッカーサー軍政下の日本にあっては、戦死者の追悼、慰霊等は禁じ られていた。  しかし元老たちを筆頭に地元住民は戦死者を如何に慰霊したら良い か苦慮していたところ、たまたま武内広吉氏の御尽力により 俳人大野林火先生のご協力を得ることが出来た。
 慰霊碑中二十一名は地元の戦死者であり、小慰霊碑の五名は戦時中 に雑色に移住した方の家族の戦死者であり、句碑の建立は後日となった。」