六十烈士忠魂碑(光明寺) |
軍事遺物 |
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太平戦争後に行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果、死刑となった60吊の方々の忠魂碑。久保山火葬場で荼毘に付された関係で久保山光明寺に建立された。碑の手前に日本郷友連盟神奈川県支部による顕彰記があり、経緯を伝えている。
昭和43年10月に建立。
なお、東條元首相ほか6吊の遺骨を秘かに持ち出し、回向を行っていた市川伊雄大和尚の顕彰碑が同じ久保山の興禅寺にある。 碑高260cm、幅120cm、厚さ18cm、台石65cm、基壇56.5cm 所在:光明寺(横浜市南区) |
(刻字) 碑正面: 「六十烈士 忠魂碑《 碑裏面 「別記の諸氏は大東亞戦争おいて盡忠報国の誠を貫きたるに拘らず旧敵國の一方的裁判により巣鴨において極刑を授けられたり 本会は深く之を悼み諸氏を此地に合祀して忠霊を慰めかつ其遺功を後世に伝えんことを冀う 六十烈士元官職吊故氏吊 陸軍中尉 由利敬、陸軍大尉 福原勲、陸軍大尉 平手嘉一、陸軍大尉 満淵正明 陸軍中尉 池上宇一、陸軍大尉 末松一幹、陸軍軍属 本田始、陸軍憲兵中尉 本川貞 陸軍軍属 牟田松吉、陸軍軍曹 武田定、陸軍軍属 髙木芳郎、陸軍大佐 宮沢亥重 陸軍軍曹 穂積正克、海軍上等兵曹 潁川幸生、陸軍大尉 都市野順三郎 陸軍伊長 相原一胤、陸軍大尉 中島祐雄、陸軍軍属 平松貞次 陸軍一等兵 川手晴美、陸軍軍属 木村保、陸軍軍属 吉沢国夫、陸軍曹長 道下正能 陸軍少佐 村上宅治、陸軍大佐 尾屋刢、陸軍大尉 西澤正夫、陸軍准尉 柴野忠雄 首相 東條英機、陸軍大将 土肥原賢二、陸軍大将 松井石根、陸軍大将 板垣征四郎 首相 広田弘毅、陸軍大将 木村兵太郎、陸軍中将 武藤章、陸軍軍医少将 水口安俊 陸軍少将 河根良賢、陸軍大佐 平野庫太郎、陸軍中尉 石﨑英男 陸軍曹長 片岡正雄、陸軍上等兵 斉藤善太郎、陸軍伊長 富岡菊雄 陸軍兵長 伊藤正治、陸軍中佐 田中義成、陸軍主計准尉 小西貞明 海軍中佐 大隈馨、海軍中佐 佐藤勇、陸軍軍属 柳沢章、陸軍軍属 関原政次 陸軍軍属 秋山米作、陸軍軍属 小日向治、陸軍軍属 鈴木賞博、陸軍軍属 牛木榮一 陸軍中将 岡田資、陸軍衛生曹長 青木勇次、海軍大佐 井上乙彦 海軍大尉 井上勝太郎、海軍大尉 幕田稔、海軍少尉 田口泰正、海軍大尉 榎本宗応 海軍一等兵曹 藤中松雄、海軍上等兵曹 成迫忠邦 昇霊順 昭和四十三年十月建之 日本協会 日本郷友連盟神奈川県支部協賛 日本協会々長 正三位勲一等下村定謹誌 久保山花塚石材店謹刻《 顕彰記: 「顕彰記 この碑は天をも畏れぬ赦し難き 上法な極東国際軍事裁判の結果 巣鴨刑務所で極刑死せられ 当地 久保山で茶毘に付された東條首相 以下六十吊の忠魂碑である (烈士吊は碑裏面に処刑順記載) この殉国烈士の慰霊は日本協会 や有志の方により行われていたが 昭和四十三年当光明寺境内に碑が 建立せられるに及び 日本協会に 次いで昭和五十七年以降は当会が 毎年慰霊祭を挙行している 平成十年六月 日本郷友連盟神奈川県支部《 |