故陸軍歩兵上等兵新井榮次郎之碑(大聖院)

軍事遺物
戻る

日露戦争に従軍、機関銃隊員として奮闘したが、明治37年5月26日、南山の戦闘で戦死された新井榮次郎さんの慰霊碑。
遺族によって明治39年5月26日建立。
碑高255p、幅46.5p、厚さ41p、台石40cm。
所在:大聖院(横浜市西区)

(刻字)
碑正面:
「故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級新井榮次郎之碑
   陸軍大将子爵兒玉源太郎書」
右側面:
「祠堂金壹百圓也」
左側面:
「新井榮次郎君碑銘
君名榮次郎横濱市新井長吉第二子母阿喜女以明治十年五月十日生資性篤實深好節義又以□力聞三十年入第一師團翼年以器械體操優 等受其會賞三十三年受善行證期満歸郷三十七年日露之役應召従軍属歩兵第二聯隊第六中隊臨發其父授傳家刀曰戰陣無勇非孝忠孝不 二勉□君拜受曰誓致K力五月戰于清國金州附近有功先是我軍新設機關銃隊選其員拾數中隊君與□是月二十六日我軍攻南山敵壘而援 之也機關銃隊戰□力隊長以下死傷幾盡君尚奮闘不巳遂斃于敵彈享年二十有八  朝廷賞之叙勲八等功七級賜旭日章及金鵄章七月横濱 市以公葬式□遺骨于久保山先塋會者二萬餘人莫不悼□法□曰寶善院義宏忠榮居士頃者遺族建碑墓上請銘于余乃銘曰
   致身酬國     揚名顕親    惟忠惟孝    貽芳于春
   明治四十二年第四月  陸軍少将従四位勲二等功二級井口省吾撰  林寛書  石新刻」
碑裏面:
「維時明治三十九年五月廿六日 八丁長號 新井萬次郎建之」
揮毫は児玉源太郎大将、祠堂金は100円という大金である。
碑自体も根元に狛犬が付属していたり、碑の周りに水盤や名刺入れなど付属物物が多く、また50回忌供養塔(昭和28年5月建立)もあるなど、個人慰霊碑としては破格の豪華さである。
いずれも魚商関係者の建立であり、新井氏は地元の実力者であったことがうかがわれる。