故陸軍歩兵少尉長谷川淺次郎碑(大聖院)

軍事遺物
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日露戦争に従軍、明治38年年3月9日、奉天の東北柳条屯附近で戦死された長谷川淺次郎さんの慰霊碑。その20年後の大正3年3月9日に建立された。
碑文によると、淺次郎さんは横濱商業學校の優秀な卒業生であり、模範として顕彰するため碑を建立した。しかし、現在の碑は、平成10年9月の再建であり、 その間の経緯は不明である。 碑高184p、幅76p、厚さ15p、台石40cm。
所在:大聖院(横浜市西区)

(刻字)
碑正面:
「故陸軍歩兵少尉 正八位勲六等功五級 長谷川淺次郎碑」
碑裏面:
「日露戰役ハ建国以来ノ一大國難ナリ我校卒業生ノ此役ニ死センモノ實ニ二十有貮人長谷川淺次郎 君ノ如キ其ノ最モ壮烈ナル者ナリ君ハ新吉君ノ四男ニシテ明治十五年三月貮拾壹日本市野毛町 ノ宅ニ生レ三十四年三月席次第一ヲ以テ本校ヲ卒業セリ爾後本市境町桑原商店ノ店員トナリ精勤 ノ誉レアリ同年十二月一年志願兵トシテ歩兵第一聯隊ニ入營三十五年十一月軍曹ニ進ミ除隊三 十七年六月見習士官トシテ應召同年九月陸軍歩兵少尉ニ任セラレ旅順攻圍軍後備歩兵第一聯隊第 一大隊第一中隊第二小隊町拜命同年十月同聯隊旗手ニ任命同年十一月正八位ニ叙セラレ同聯隊第一大 隊副官ヲ命セラレル其榮達ノ速ナルハ蓋シ希例ニ属スト云フ翌三十八年二月四日第三軍ニ從ヒ奉天會戰 ノタメ同月二十二日遼陽北方營ニ赴ク此間行軍急ニシテ寒氣烈シ士卒疲寒ニ泣ク君身ヲ以テ衆ニ先 タチ之ヲ激勵シ能ク期ニ後レサラシム同月二十七日第三軍最左翼ノ旅團ニ属シ大迂廻ヲ始メ三月八 日田義屯ニ至ル翌九日奉天ノ東北柳条屯附近ニ於テ敵ノ退路ヲ遮断セントシ本大隊ハ其ノ第一線トナ リ早晨前進ヲ始ム敵ハ堅固ナル陣地ト鐡道線路トニ拠リ優勢ナル野砲ト機關銃トヲ以テ退却援護 ヲ為シ猛烈ナル砲火ヲ我ガ隊ニ集注セリ君大隊長ヲ佐ケ其ノ部下ヲ激勵シ終ニ敵壘ヲ去ルコト僅カ ニ四五百米突ノ所ニ進メリ此時ニ當リ聯隊長既ニ死シ副官モ重傷シ大隊長亦創ヲ被リ立ツ能ハサ ルニ至レリ大隊長君ヲ呼テ曰ク将校皆斃ル君獨リ全シ君ノ任ヤ大ナリ君宜シク自重シ転進スルコト アルベカラズト君大隊長ニ慰メ奮然残兵ヲ提ケ進戰ス時ニ暴風砂塵ヲ揚ケ咫尺ヲ辨セス敵将クロハト キン此機ニ乗シ二軍團ヲ引率シ将ニ逃路ヲ開カントス君肉迫格闘敵彈君ノ頭部ヲ貫通シ君遂ニ死 セリ功ヲ録シテ勲六等功五級ニ叙シ單光旭日章ト金鵄勲章トヲ併セ賜ハリタリキ君逝テ既ニ二十年 家兄新右衛門氏君ノ為ニ碑ヲ建テントシ来リ予二文ヲ請フ嗚呼君ノ如キハ實ニ我校卒業者ノ模範 ト謂フヘキナリ乃チ欣然トシテ之ヲ識ス
                               石伊之刻  横浜石源再刻
 大正三年三月九日 横濱商業學校々長從六位 美澤進撰  芳石三好直徴書 [印]」
裏面下部:
「平成十年九月吉日  第三十世住職 吉田密浄代
  總代施主 長谷川豊 長谷川明子」