忠魂碑(船越神社)

軍事遺物
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船越神社の境内に設置されている。大正5年、船越公園の山頂に建設されたが、関東大震災で崩壊し、昭和3年に再建された。しかし、大戦末期、機銃砲台の設置に伴い倒され、その後昭和30年に船越神社の境内に再建され、更に平成14年同境内内で移築されたという複雑な経緯を持つ。
現在は、田浦、船越、長浦町出身者の太平洋戦争までの戦没者390余柱を合祀している。
碑の脇にはセメント製の模擬砲弾が置かれている。
碑裏面には沿革及び各再建時の関係者名が刻されており、 さらに台座に、黒御影石で平成14年改修時の記録が残されている。

碑236cm、幅85cm、厚さ15cm、台座80cm
所在:船越神社(横須賀市)

(刻字)
碑正面:「忠魂碑 陸軍大将一戸兵衛書」
碑裏面:
「碑沿革
一、昭和三年十月建之 旧田浦町全域出身戦死者三十八柱を合祀す
一、昭和十九年十一月撤去 大東亜戦争中高角砲陣地として軍命令に依り撤去せらる
一、昭和三十年十一月再建 再建を機として更に満州事変より大東亜戦争に亘る期間中船越田浦長浦町出身の戦死者を加え合計三百九十余柱を合祀す」
「昭和三年十月建設 建設委員
帝國在郷軍人會田浦町分會長 石川半七
同分會副長 斉田彌四郎 同 杉田爲好
田浦町長 金谷運吉
田浦町助役 渡戸直三
田浦町兵事主任 平田藤太郎
町會議員 今井爲橘 同 佐藤秀昌
船越區長 楠林正齊
田浦區長 石川辨藏
榎戸區長 渡邊泰治
設計者 志村市五郎
工事請負者 笛木武雄」
「昭和三十年十一月再建 横須賀在郷軍人友の会田浦分会
委員長 佐々木春吉
副委員長 青木喜七
副委員長 千葉竹之助
副委員長 熊岡全機間
委員 庄司寛三
委員 大槻虎雄
委員 佐々木博
委員 千葉守衛
委員 白鳥潤助
委員 小保内久藏
委員 柳島勝美
委員 宮ア武雄
委員 戸倉敬
石工 田中美雄」

台座裏面:「改修落成 平成14年5月吉日 (太平洋戦争における船越地区戦没者174柱の御霊を合祀) 改修建立者 船越町連合町内会 船越郷友会」

*敷地を囲む御影石の石柱の内、右手前と左手前の小さな石柱は、刻字から、昭和16年3月20日に船越青年團解散記念に建之されたものであり、その形状から元は神社の幟の掲揚台であり、これを流用したことがわかる。