表忠碑(伊勢山皇大神宮) |
軍事遺物 |
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日露戦争で戰病没された横浜市立横浜商業高等学校(Y高)出身者、12柱が合祀されている表忠碑。 明治39年4月3日に同校同窓会によって建立された。揮毫は乃木将軍。 平成14年5月、Y校創立120周年に当り、 進交会有志一同によって周辺整備工事が行われている。 碑高410p、幅190p、厚さ30p、台石80p、盛土70p。 所在:伊勢山皇大神宮(横浜市西区) (刻字) 碑正面: 「明治卅七八年戰役横濱商業學校出身陣歿之士 表忠碑 希典書」 碑裏面: 「明治三十七八年役曠古之大變也武夫死節者何限而以商賈従軍奮闘激戰斃而後巳如我横濱商業 學校出身鈴木君順平等十二人豈付加寂稱乎國富於勇者如斯是我所以得大勝也令也風雲全□文 教洽於内武威張於外我輩復得仰天日樂太平者實君等之賜也於是同學胥謀建碑於山廟之□叙死 節梗概如左庶幾乎使世之懦夫起矣若夫君等勲功則赫赫照于青史不待我輩呶呶而後知□ 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 鈴木順平君 横濱市人明治三十七年五月二十七日死於清國盛京省南山 年二十五 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 水野正武君 横濱市人明治三十七年八月二十一日死於清國盛京省水師營西南方地 年二十八 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 齋藤文六君 横濱市人明治三十七年八月二十一日死於清國盛京省水師營南方地 年二十八 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 石川佐一君 横濱市人明治三十七年八月二十一日死於清國盛京省水師營附近 年二十八 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 持田善助君 横濱市人明治三十七年八月二十六日死於清國盛京省遼陽前面大西溝北方地 年二十五 陸軍歩兵中尉正七位勲六等 北村勵次郎 岡山市人明治三十七年九月三日死於清國盛京省遼陽小南門外 年三十一 陸軍歩兵中尉従七位勲五等功五級 稲葉茂太君 前橋人明治三十八年三月八日死於清國盛京省三台子 年三十一 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級 吉本平四郎君 横濱市人明治三十七年十一月二十九日日死於清國盛京省旅順二百三地 年二十八 陸軍歩兵少尉正八位勲六等功五級 人見米蔵三君 京都府南桑田郡馬路村人明治三十七年十月十六日負傷於清國盛京省南沙河十一月二十五日死於遼陽兵站病院 年廿四 陸軍歩兵少尉正八位勲六等功五級 長谷川淺次郎君 横濱市人明治三十八年三月九日死於清國盛京省田義屯 年二十四 陸軍歩兵少尉正八位勲六等功五級 松平脩吉君 横濱市人明治三十八年三月九日負傷於清國盛京省田義屯三月十二日死於平羅堡定立病院 年二十六 陸軍歩兵伍長 勲七等功七級 田邊新太郎君 横濱市人明治三十七年八月二十一日死於清國盛京省水師營附近年 二十四 明治三十九年四月三日 横濱商業學校同窓會撰并建 東京塚本淵書 横溝豐鐫」 |