忠烈(福娶寺) |
軍事遺物 |
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日中戦争に従軍し、昭和17年8月27日、南山の戦闘で戦死された兒山一正さんの慰霊碑。「忠烈」の篆額は、宇和島藩主の9男で、日本体育会体操学校(現日本体育大学)校長であった二荒芳徳伯爵の書。一正さんが、同校を卒業し、引き続き教官として活躍していたことによる。 昭和18年9月、遺族によって建立された。 碑高162p、幅75p、厚さ11p、台石高20p。 所在地:福娶寺(横浜市保土ヶ谷区) (刻字) 碑正面: 「忠烈 芳徳書(篆額) 故陸軍中尉 從七位 勲六等 功五級 兒山一正之碑 一正君ハ横濱ノ出生資性温厚圓満ニシテ人格明朗潔母ニ孝養ヲ致ス夙ニ體育報國ノ念 ニ燃エ熱心ニ體操錬成研究ニ精進シ吾カ門下ノ逸材トシテ将来ヲ嘱望ス特ニ器械體操ニ 長シ全日本選手権大會等ニ優秀ナル成績ヲ占ム斯道ノ識見ヲ亦越セリ昭和十四年三月 日本體育會體操學校ヲ卒業引續キ選ハレテ同校教官トナル同年十二月現役兵トシテ佐倉 五十七聯隊ニ入隊十五年五月幹部候補生トナリ十六年七月優秀ナル成績ヲ以テ盛岡豫備 士官學校卒業同年十一月少尉任官下下津原頭ニ教官トシテ活躍ス十七年五月下旬出師ノ 命下ルヤ北支山東ノ征野ヲ望ミ勇躍壮途ニ上ル爾来討伐ニ参加灼熱ノ猛暑ト戰ヒ日夜俊 嶮ヲ突破孜々トシテ諸任務ニ努力邁進部隊ノ名譽ヲ輝カシム大協荘張家荘等ニ轉戰ノ後 八月二十五日南山確保ノ選抜隊長トシテ出發南山地ノ配備ニツク二十七日一時二十分 數百ノ敵急襲月明ニ満天ノ星微風タニナキ眠レル南山ハ突如激烈ナル戰闘ニ入ル沈着克 ク熾烈ナル敵彈下ニ部下ヲ掌握勇壮無比ナル激戰奮闘頑敵ヲ挫キシカ俄然敵彈二發左頸 部又頭部ニ中リ突撃命令ヲ下シツゝ二時三十分壮烈ナル戰死ヲ遂ク行年二十六功ニ依リ 從七位勲六等ニ叙セラレ功五級ヲ賜ハル其ノ遺骨ハ福聚寺塋域ニ葬ル噫君ハ聖業完遂ニ 殪レ興亞ノ礎ト為ル盡忠報國ノ偉勲ハ燦トシテ永遠ニ輝カム 建碑ニ際シ題額書伯爵ニ荒芳徳閣下ヨリ受ク 從五位勲六等下津屋俊夫撰文」 碑裏面: 「誠心院義一正忠居士 昭和十七年八月二十七日 昭和十八年九月建之 施主 兒山ハマ 児山勝雄臣」 |