故陸軍歩兵一等兵吉原末吉碑(遍照寺)

軍事遺物
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日露戦争に従軍し、明治37年8月22日、寺児溝西北方高地にて戦死された吉原末吉さんの慰霊碑。 父親によって明治38年4月に建立された。
昭和20年5月29日の横浜大空襲の際、不発弾が当碑を直撃、一部破損した。この事実を伝える碑が「平和之碑」として平成20年9月に碑域内に建てられている。
碑高260p、幅95p、厚さ20p、台石高40p。
所在:遍照寺(横浜市保土ヶ谷区)

(刻字)
碑正面:
「故陸軍歩兵一等兵吉原末吉碑  勲八等功七級」
碑裏面:
「末吉吉原新太郎四男也明治十五年十二月十四 日生于保土ヶ谷町帷子山下同三十七年三月十 五日従征露軍轉戰於旅順方面八月二十二日遂 戰死於清國盛京省寺兒溝西北方地于時享年 二十有三謚曰殉國院義忠常照居士
 明治三十八年四月 父吉原新太郎建之
   石工小川松五郎」



<平和之碑>
碑正面:
「平和之碑
昭和二十年五月二十九日午前九時過ぎ B29 の大編隊が来襲し 横浜は焦土と化した 天王町駅から横浜駅にかけての帷子川沿い には 多くの軍需会社があったので 米軍 の標的とされた その影響で当山周辺も焼 夷弾攻撃による延焼の被害が甚大であった 当山本堂には仏加護にて火の手が及ぶこと はなかったが 一の不発弾が当石碑を直撃 し その一部が欠けることとなった 此に当時の惨状を記録し この様な惨事が 二度と繰り返されぬよう願うものである
  遍照寺  小住義彰」
碑裏面:
「平成二十年九月吉日   吉原弘納之」
全高90p、幅61p、厚さ9.5p。