陸軍輜重上等兵阪倉英太郎之碑(本覚寺)

軍事遺物
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日清戦争の勝利によって台湾を得た日本は、台湾を統治するため軍隊を送ったが、その際に病気に罹り、明治28年8月26日病没された阪倉英太郎さんの慰霊碑。地元の有志によって明治29年2月に建立された。
碑高240p、幅47p、厚さ31p、台石高30p。
所在地:本覚寺(横浜市神奈川区)

(刻字)
碑正面:
「陸軍輜重上等兵阪倉英太郎之碑」
碑裏面:
「陸軍輜重上等兵阪倉榮太郎横濱市戸部町人也父曰三蔵其第一子明治乙未歳春日清媾和議成矣臺灣入 于吾範圖土民頑真抗兵拒王師英太郎以在現役受命趨之經大連湾基隆各地而至苗栗適獲病而仝八月廿 六日没享年二十有二□□神奈川町本覚寺 □□□□□□忠勇□□□□□□報國□□□功績賜□□建石誌之 長傳姓名     時時明治二十九年二月 横濱有志者建之               芳石書  石工 紅葉□五郎刻之」